『文学会議』 / セサル・アイラ
★ ✖️ 90
(内容紹介)
奔放なウィットと想像力の炸裂する、アルゼンチン作家の衝撃作。小説家でマッド・サイエンティストの〈私〉は、文学会議に出席する文豪のクローンを作製しようと企む。しかし小さな手違いから大惨事が――。奇想天外な表題作のほか「マオとレーニン」というパンク少女たちと街角で出会った〈私〉がスーパーを襲撃するまでを描く「試練」を併録。世界的名声を誇る作家による、渾身の2篇。
いつもモノとしての満足度も高い新潮クレストブックスから。
2015年に翻訳され出版されたものですが、作品自体は20年前のものです。アルゼンチンの奇才と呼ばれるセサル・アイラさん著。
いやーーークセのある一品!面白かったですねー、これぞ洋書!
『文学会議』と『試練』の中編2編。
『文学会議』ではアイラさん自身がマッドサイエンティストの主人公という設定。
ひょんなことから巨額の資金を手に入れた主人公は、実在する有名な作家のクローンを作り、「文学会議」(今でいうフェスみたいなものらしい)に出席させることを目論むという、何だかよく分からないSF設定。
にも関わらず物語の大筋はひたすらアイラさんから語られる理屈じみた思想。
初めのうちは「なぜこんなSF設定にも関わらず、淡々と本筋とは逸れたところばかり責めてくんだ?」と不思議な気持ちで読み進めていました。
ただ、どうやらそれに魅力があり、じわじわと文体に惹かれていきました。例えば主人公がプールで休んでいる以下の文章
プールでの目的はたったひとつに集約されていた。脳の活動過多を和らげることだ。裸の体を陽にさらし、ただあるがままにあること。心の中で黙祷すること。(略)無の境地というやつだ。大脳皮質の電気活動が完全に、あるいはほぼ完全になくなるこた、停電、休止だ。
エトセトラ、、
『‥うるせえっ!!』という感じ笑。繰り返し形式ばった理屈ばかりで、中盤以降ニヤニヤ眺める形で読みました。あぁーこういう楽しみ方もあるんだなぁと。
まあそういうテイストの作家なんだなぁと読んでいると、、、
いやあ、騙されました。まさかのぶっ飛びどんでん返し。
なんじゃ最後!SF設定超えてもはや漫画。「もののけ姫」とでも言えましょうか、、詳しくは書きませんが、それまでの展開とはうって変わってトンデモストーリーになったまま終わり。
中編ながら読後の余韻は大きかった、、うーん素晴らしかった!詳しく書くとあれなんで是非読んでみてください。
もうひとつの『試練』、こちらもテイストの異なる、前者よりはプロットを追う小説で台詞も多いですが、前者同様クセのある文章に展開、どこか読み手任せの受け取り自由的な主義もあるのかな、、とフワフワした感情で読んでいたら、最後訳者あとがきで訳者である柳原孝敦さんが言い得て妙なことを言っていたので引用します。
通常の読書ルーティンに飽きた方は是非楽しめる作品でした。
セサル・アイラさんの読者である私たちは翻訳を強いられる。つまりは作り変えを強いられる。読者のすべてが映画監督になる必要はないが、映画に脚色するくらいの作り変えが必要になる。アイラを読むということは、小説を読むことではなく、小説を書くことに似た体験なのかもしれない。