- 作者: 西村佳哲
- 出版社/メーカー: ミシマ社
- 発売日: 2011/08/11
- メディア: 単行本
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★ ✖️ 90
内容(「BOOK」データベースより)
震災を経て、あらためて自問した―。「どこで働く?」「どこで生きる?」わからなさを携え、東北、九州を巡った旅の記録。『自分の仕事をつくる』などで「働き・生きること」を考察してきた著者が、「場所」から「生きること」を考えた、働き方研究家の新境地。
ミシマ社出版ということで以前から気になっていた一冊。
別に私自身今は神戸に住み、地方に住みたいという気持ちは全くありませんが、母親や奥さんの実家に帰るたびに都会と田舎の色んなギャップにやられ、「都会で良かったなぁ‥」と思いつつ、「でもどっちが正解とかでもないよなぁ」という変な自己嫌悪に陥ります。
そんな私、なにか気づきがあるのではとタイトルから安易な気持ちで本書を取りましたが、読中読後なかなかに考えさせられる一冊でした。
レビューの前にまず言いたいのは、本書がタイトルから想定されるような「田舎でのハウツー」を書いたノマド本でもなければ「アンチ最先端技術」でもないということ。
同じくミシマ社出版で、書店員の方々のインタビューをひたすら載せた『善き書店員 - bookworm's digest』という本がありましたが、あれと同じく、なにか1つの答えに向かったものではなく、ただ「その土地に生きることを選んだ方」「別の土地に生きることを選んだ方」それぞれのインタビューを集めたもの。
故に感じ方は読み手に委ねられているし、だからこそ読中読後に考える時間が増える。パッシブじゃ決して読めないです。
例えば流動的な生き方を選んだ方の意見として
移民にせよ開拓にせよ、動いていた世代の人たちは「やらざるをえない」からやっていたと思うんです。移り住むということを。でも今はなぜか、なかなかそういうわけにいかない。正確に言うと、いかない人が多い。今のほうがよほど動けそうな気がするんですけど、そうはならない人が多いのはいったいなぜだろう?
僕自身には「こういうことをやりたい」というのは本当にないんですよね。だから自分が住むべき場所も、その時その時で決まっていく。そこに身を委ねるのは自分にとってすごく自然なことで、それしか考えられないというか。みたいのがあって、私自身はどちらかというとこういう意見にうんうん頷いて生きてきた。
便利なとこに住めば良いと思うし、土地やモノへの執着心もあまりない、危険なところだったら安全なところに移りたい、と考える。
けれど被害を受け、放射能の不安があっても尚そこで生きていくこと、
田舎に行くたびに心がザワザワする「全土・総イオン化社会」の流れですが、そこで生きる人たちにとってはイオンの便利さが好きになればそれ以上便利なことってないし、イオンが好きでなくとも流れる川や空気や近所の布団叩きのBGMが好きで、そこに愛があれば住む理由として十二分足るものになるのだなぁと。
震災後に「一刻も早く避難すべき」という、そりゃ科学的にも歴史的に考えても、ドが着くほどの正論を外部から多くの方が主張していた風潮にどこかしら疑問を感じていた私にとって、作中で出てくる「その土地に生きることを選んだ方々」のインタビューはすごく考えさせられました。
自信があるんですよ。自分に対する信頼がどこかにあるんです。自分で決めたことに向かっていいと自分に保証されている感じがあるんです。
自分が好きな場所・コト・人を、身近な場所にどれぐらい持っているか?どれくらい?それに気づいているか?が、何より大切な気がしてきた。それならたくさんある。自分の町について。
だから私のような外的因子がたまに現れては「画一化されてて残念だなぁ‥」なんて変に同情したり優越感感じたりするのはてんで御門違い。