日記でなく週報になってきた、、別に忙しさは前と変わってないのにこれは良くない。あーなんとかブログのペースを上げなきゃ。時間の使い方を考える、会社でよく学ぶPDCA(白い目)。
昨日の地震について書く。こうゆうのは残すべきと思う。
昨日は娘を保育園に預けたあと、三宮から電車に乗って六甲付近で地震に襲われた。格闘代理戦争を食い入るように観てたし、駅に着いた瞬間の揺れで地震は感じなかったが、とにかく爆音の緊急速報がみんなのスマホから鳴り出した時点でおかしいと感じ外へ。駅員が大声で「大阪で地震です!」と叫んでる雰囲気からジワジワと混乱が広がっていって、あぁこれはどうやらヤバいと感じ始め、即家族に電話して仕事先の奥さんと保育園の娘の無事を確認。駅構内には震えて立てない中年女性がいて、そこに付き添う若い女性が見えた。自分自身も怖いだろうに、ああゆう行動を即座に取れる人間はいるんだなぁって呑気なことを思った記憶がある。ツイッターを見るとどうやら震度6弱で、震源地が実家がある市と分かった時点で事態の大きさを知ってちょっと足がすくむ思いやった。幸い実家の母親と犬は問題なく、では次は自分はどうすりゃいいかと考え、おそらく今日は電車は動かんだろうと思い近くのミスドへ。至る所でスマホを開く人がいて、みんな大変だよな、不謹慎ながらもこれが災害ユートピアという一種の共同意識かと変なことを思った。
会社は電話が繋がらず不安に思ったが、どうやら繋がらないのは電話だけでメールに対しては課長から連絡が来た。その時点で俺周辺の確認作業は終わり、あとはひたすら地震の最新を追おうとツイッターをエンドレススクロール。そうこうしてる間に保育園から迎えにきてほしいと連絡あり、タクシーは当然捕まらないので、東南アジアのトゥクトゥクかよと思うくらい混み合ったバスに無理やり乗り込んでなんとか三宮にカムバックし娘をピックアップ。あとは家で過ごしたそんな月曜日でした。
今日会社に行くと、特に昨日の帰り道が大変だったようで、六甲で足止め食らった俺はある意味なんてラッキーやったんやと思った。喋ってて辛かったのは外国人社員とインターン生で、インドネシアやドイツにいる家族からは散々安否確認の連絡が来たらしい。実際彼らもこんなにも大きな地震を喰らうのは初めてで、どこが安全とか危険とか、日本人ですらキャッチアップが困難な最新情報を追えない状況はホンマに不安やと思う。逆の立場で家族がそんな状況にいたら、今すぐ帰って来いと航空券を予約してしまいそう。
こうやって何度も地震を経験しては背筋を正され、水や食料や避難ルートについて確認しては、しばらく時が経って日常に溶け込んで忘れそうになっては地震を経験し、、の繰り返しを経験してきた日本で、危機管理能力は高まったとは言え完璧じゃないよなと気付かされた1日やった。まだまだ余震或いは本震が待ってると思うと気持ちが暗くなるが、やるべきことをやるしかないよなぁ、命は自分で守らななぁという気持ちだけは持っている。