前から気になってた日傘を買った。はじめに百貨店行ったら申し訳程度にしかメンズ日傘は置いてなくて、あぁ世の中はまだまだ日焼け男子の時代なんか、、と思ってロフトに行ったら所狭しと置かれてた。「全雑貨屋の上位互換」、おそるべし。。ワンタッチでボンと開くシックなやつ買ったのでシックな男のフリしよかと思う。明日から通勤で使おう、明日をきっかけに会社周辺に広まれ日傘男子!
山内マリコさんの『パリ行ったことないの』を読んでて、あぁそういえばこれ観たかったんや!と思い出してクリントイーストウッドの『15時17分、パリ行き』を観た。
90分足らずやけど素直にめっちゃいい映画やった。主人公3人は実際にテロを受けた本人の方が演じてて、被害にあった列車内の乗客も本人、何なら首謀者に首筋を撃たれた方も本人が演じてるという、これまでリアリティリアリティと叫んでた映画が霞むほど、あぁこんなリアリティの追求があったのねと納得させられる徹底っぷり。演じてる彼らは、演じてない頃の自分の一挙手一投足を演じ直す、という不思議さ、これは観終わった今でも不思議。例えば今レビュー書いてる俺はこの時間は演じてないけど、数年後にクリントイーストウッドが現れて「レビュー書いてたあの頃のお前を演じろ」と言われるようなもん。もちろん素人が演じてるので多少表情の不自然さとかあるんやけど、「演じてる対象は自分」てだけで間違いなくリアル100%なので、この徹底っぷりはホンマに新しいと感じた。
途中、本来の映画やとヒロインになるべき女性が出てくるんやけどいつのまにかいなくなってたり、テロの題材にも関わらずやたらと旅のシーンが続いたり。無駄がないと言ったけど無駄はあって、けどその無駄は映画作品の中での無駄という意味であって、リアリティを追求する上では決して無駄ではないとゆうのも良かった。たまたま船上でナンパしたり、たまたまトレビの泉でコイン投げたり、全部の行動がたまたまで、んであの列車に乗ったのももちろんたまたま、この「たまたま」を運命と呼ぶとそれまでやけど、あの事件に巻き込まれる可能性は誰にでもあったという偶然性を叫ぶ上では、無駄に感じるシーンも全てメッセージになってた。
あと話逸れるけど主人公が「戦争に行って人の命を助けたい」と言ってて、まず戦争ありきだということ、んで戦争=相手をやっつけるでなく味方を救う、であること、あぁこの感覚は日本人にはないなと思った。うーん90分やけど今思い出してもなかなか考えさせられる映画やった。