兵庫県は4月6日に緊急事態宣言が出されて約2ヶ月経ち、外出自粛は続くものの、宣言自体は今週末解除され、娘の保育園も来週から通常保育にバックアゲインする。
ウチは奥さんがお国のために働くお仕事、娘は3歳で認可外保育園に預けていて、緊急事態宣言に合わせて保育園が休園となったため、2日に1日交代で仕事を休んで娘を家庭保育することとなった。
そこで問題となるのが
- 「外出自粛でどこにも行けない中、朝から晩まで娘と2人でどう過ごすか」
- 「仕事時間を半分にしてこれまで通りの仕事量をこなせるか」
の2点で、それぞれについて思うことがたくさんあった、いろんな意味で非常に重要な時間やったのでアーカイブしておく。
まず①の、娘との過ごし方。保育園は半インターナショナルで幼児保育思考が強く、始めはそんなにカリキュラム要らんやろと訝しがってたけど、英語やひらがなに興味を持ち出した娘を見ているとそれも悪くないという気持ちになって、
「家庭保育となった今、俺が娘の先生となって授業するしかない!」
と、始めの頃は時間割を作ったり、ネットから英語の知育プリントを印刷したりと意気込んでいた。
が、早々に挫折。そうは言っても3歳児で集中力など乏しく、まして親が先生ぶっても反感買うだけで聞いてくれないし、何よりも俺の方が先に疲れてしまい、文字通り3日坊主で終わった。
せめてトイレトレーニングや食生活は清く正しく!と気張ってたが、2日に1日勤務という単純な地獄(後述)の中で気張るのも疲れ、
じゃあ俺の存在証明ってナニ、、、、と悩んでいた頃に読んだ田中茂樹さんの本が刺さった。
「こっちが考えている以上に、子どもは分かっている」
らしい。
野菜を食べろ、トイレに行け、なんて親から言われずとも、子どもはとっくに分かっている。
YouTubeを見させすぎたからなんなのだ、歯を1日磨かなかったからどうなるのだ、
どうせコンテンツなんて飽きるし、歯なんていつか磨く。
これは育児放棄ではなく、親と子が穏やかに過ごす「最後の家族論」の思想に則った上での育児方針と考えた刹那フッと肩の力が抜けたし、不思議なことに途中から娘も力が抜けたようにのんびり過ごすようになった。
あともう1つ刺さったのは、
「親が子どもの全てを知っている状態なんて、いつかすぐなくなってしまう」
という言葉。
朝起きしなから人形ごっこに延々付き合わされていると「早く1人で勝手に遊んでくれ」とどうしても思ってまうけど、
多分近い将来「1人で勝手に遊ばないでくれ、お父さんと遊ぼう」と、かつての状況を懐かしむ時期がやってくると思うと、子どもと二人きりで、子どもが頼れるのは自分だけという一見辛い状況は、角度を変えるとこれ以上ない贅沢だとも感じた。
広い芝生の公園で2人でピザを食べてる時、あまりの多幸感で意識飛びそうになったのも、この期間だからこそ経験できた出来事だろう。
と、まあ家庭保育については、中盤から上手く軌道に乗って楽しんだが、問題は「仕事時間を半分にしてこれまで通りの仕事量をこなせるか」であり、これは結論から言うと、NO。辿り着いた1つの真理は
「手を抜く」
これしかない。マジで。
初めのうちはある種この追い込まれた状況を、自分が成長できるゲームチェンジャーや!とポジに受け取って、かつて読んだ自己啓発本で得た知識を記憶から呼び起こし、徹底的な業務効率化を図ろうとした。
メールの返信も、いつもなら「こいつには即返すのでなく、ちょっと焦らしてやろう、」と言う無意味な駆け引きやってたりしてた場面でも、「1つのメールは1回しか読まない!」という思想でバンバン返しまくってたし、
メールでも電話でも対面でも無い、社内チャットという新たな距離感の縮め方を利用して、繊細なコミュニケーションによって自分の仕事をそっとオフロードしたりもしていた。
が、なんせ俺以外のグループ員は在宅とは言え毎日働いている訳で、容赦無くメールを飛ばしてくるredmineという進捗管理ツールのせいで、休んだ翌日にPCを開くと受信トレイは常に未読300件とかの表示になってたり、
俺のいない世界線でプロジェクトはいつの間にか進んでいるから、会議についていけずアタフタしたり、
とにかく、仕事日は朝から晩まで最大限「今ここにあるもの」をこなすことに120%費やすだけで、
研究開発で大事な「今ここに無いもの」に想いを馳せる時間などある筈もなかった。
そして後半になるにつれ「今ここにあるもの」も把握できなくなってきて、見逃した業務が積もりに積もって、月末の重い試作のために今週は土日返上の7連勤となってしまった。
ただ、うーん、勿論俺のやり方にもいくらでも反省点はあるが、やっぱ1/2勤務でこれまでの成果を出すのは現実的じゃなかったし、
「共働きで子どもがいるから」という枕詞を、もうちょっと盾にしても良かったし、
もっと直接的に言うと、もうちょっと俺の仕事量考慮してくれても良かったんでないの?俺の。と思ってしまう。
まあ、こう思えると言うことは一方で、いつか俺が管理職になり、「COVID-39」みたいな新型ウィルスが流行って同じような状況になった時、今回の俺と似たような境遇の部下や後輩の仕事量を考慮することができるという意味では、いい経験だったと言える。
来週の試作は準備不足すぎてコケる可能性も高いが、平謝りしながら心の中で語尾に「だけど涙が出ちゃう。だって1/2しか働いてないんだもの」とつけて自分を凹ませ過ぎないようにしよう。
、、、と、いう感じの2ヶ月でした。終わり