ゲロが出るほどオモロかった。夢中で読みきった。未読の人ぜひ!
今年に入って、グリコ・森永事件をオマージュした『罪の声』やナチス政権時代の『アウシュビッツの図書係』といった「ほぼノンフィクション」の作品を読んだが、本書は正真正銘ノンフィクション。足利事件という未解決事件を追ったジャーナリストが著者。足利事件は名前だけ聞いたことあったが中身を知ったのは初めて。特番とか冤罪ニュースとかでメディアにも何度も取り上げられてたそうやらみんな知っとるんかな?単に俺が無知なだけか。
栃木県足利市で起こった女児殺人事件で、当時犯人とされていた菅さんが17年後冤罪で釈放された事件。著者は冤罪になるはるか前からこの事件の違和感を取材しており、驚きなのがかなり早い段階で冤罪を確信し、別の真犯人の目星を付けていた。特に後者が重要で、真犯人は本作内でも再三に渡り描写されており、事実国会や別メディアでも取り上げられる程有名に押し上げたのも著者(「足利事件 ルパン」とかで検索すると出てきます)。なのにタイトルにもあるように、未だ捜査は進まず「殺人犯はそこにいる」状態が続いてる。
本書は前半で冤罪が晴れるまでの一部始終を描いているが、それよりも何故真犯人確保に未だ至っていないのか、そこに隠された国家の闇・異常性を後半に描いていて、そこに何よりも震えさせられた。
そもそも菅さんの冤罪は、当時最新の技術であった「DNA型判定」に起因しており、そこの誤判定が認められて釈放に至った経緯がある。そんなので17年も人生に穴を空けられたのは溜まったもんじゃないし、勿論誰かが謝ったって済む問題ではない。けど穴を空けた当の組織、この場合裁判所や警察サイドは、確かに一人の人生に穴を空けた罪を認めるべき、そんなことは小学生でも分かることなのに、
もう本作で出てくる組織サイドの対応が異常すぎて、途中に出てくる被害者遺族の言葉を借りると、「ごめんなさいくらい言えなくてどうするの?」という小学校の標語のような疑問がボンボン沸いてくる。
更に、異常なまでに非を認めようとしないその裏側に、別の事件が絡んでいる可能性を示唆する終盤はもっと言葉が出ない。著者は足利事件とは別に「飯塚事件」という、同じくDNA型鑑定で逮捕され、そして死刑執行までに至った事件を取材しており、取材の結果本事件も冤罪だったのではないかと述べている。もしもこの事件でのDNA型鑑定も著者の言うように冤罪であり、けれどその瑕疵を肯定することができないから足利事件の捜査も進展していないとまで想像を走らせた場合、被害者遺族や無くなった方への気持ちはもうどうしようもない。著者も同じく娘を亡くしており、ラストはとにかくこのどうしようもなさを半ばヤケになって綴ったような言葉で締められている。
これまであまり報道の意義とか考えたこと無かったし、どちらかというと加害者被害者プライベート問わずフラッシュにさらしまくるマスコミとかの印象だけで敬遠してたが、「報道の意味は再発防止に尽きる」と言ってとことん真因を追い続ける著者のような方もいることを知れて印象が変わった。