10日もあった2022年のGWが、残りただの土日の2日を残すのみということに心から悲しみを感じている。働いているときはワーカホリックかと意識するほどには仕事しちゃう性なのに、休めば休むほど仕事などどうでも良くなってしまう、ずっと読書して珈琲飲んで風に吹かれてたいと思う、この二面性をなんと呼ぶのか誰か教えてくれ。
ここ最近の読書スピードは止まない。積ん読消化ライフ!柚木麻子さん『本屋さんのダイアナ』、加藤直樹さん『九月、東京の路上で』読了。
フェミニストである柚木さんが描くシスターフッドの小説。学生時代仲よかった友人が徐々に疎遠になり、けれど心の何処かに常に互いを感じていて、やがて時を経て再会、、という、小説のプロットテンプレートランキングベスト3に入るような小説やったけど、これを多分学生時代の俺なら、海猿の「バディ」如く力強くて太いパイプで結ばれた友情関係モノとしてそれはそれで楽しんで読んでたと思う。
けどある程度知識を得た今は、これは小説の体を借りながら、女性の生きづらさを描いた著者の主張だとビシビシ感じることができた。というか『僕の狂ったフェミ彼女』同様、性被害/暴力や就職、親からの圧などの描き方が余りにもあからさまにわかりやすくしているなという印象も受けてしまった。もちろん柚木さんほどの売れっ子作家なので広く読まれることを想定して故の汎用性やろうけど、個人的にはエンタメに寄せず、もっと尖った主張で突き刺してほしい!という思いも芽生えた。とはいえ、ここまで社会的なエッセンスを入れつつあくまでエンタメに作りきるのもホンマすごい。個人的にはダイアナの母・ティアラが、女性というだけで社会的にマイノリティになってしまうことへの反抗として、幼い頃から子どもの髪をブリーチさせる描写を読んで、娘を持つ身として色々考えさせられた。
ウクライナの調べ物をしてた時にレコメンドされた一冊。ジャスト100年前の関東大震災朝鮮人虐殺事件を、当時の手記などをもとに徹底的に調べたノンフィクション。「朝鮮人が井戸に毒を入れた」という流布があった、程度のレベルでしか知らない史実やったけど、読んで色々衝撃過ぎて心がやられた。こんな事実、少なくとも学生時代に習ってない。そしてその「習ってない」という事実自体にまたやられてしまう。それってつまり、大半の日本人は知らんまま生きて、死んでいけてしまうということやから。
多くの日本人が、警察や軍も含めて朝鮮人虐殺に手を染めたときに、それを拒絶した人物を、後世の日本人が「誇れる日本人」と称揚するのはおかしいのではないか。虐殺が私たちにとって「誇れない歴史」であることをまず認識すべきだ。
作中で描かれている世界はまさに、『生かされて』で読んだルワンダのジェノサイドのそのもの。昨日まで共生していた朝鮮人に対し、武器と罵声を向けて殺戮するという構図。この時代は口コミで流布が広まったとあるけど、これって結局、現代のweb2.0も多くの情報を摂取できるとはいえ、その情報(口コミ)を誤った場合に物事が間違った方向に大きく動いてしまうという構図は全く変わらんなと感じて恐怖した。その恐怖の種はすでにヘイトクライムという形で定着してしまってる。
ヘイトクライムは、日常の場を支えている最低限の小さな結びつきを破壊する犯罪でもあるのだ。小さな信頼関係を守るために危険を冒さなくてはならなかった人々の存在は、日常の場に乱入し暴力を扇動するヘイトクライムの悪質さ、深刻さをこそ伝えている。
デモのようなわかりやすい形のヘイトだけではなく、母親とかが当たり前のように口にする「中国人ばっかりの保育園って大丈夫?」のような発言、こういった日常に溢れる種のような嫌韓・嫌中が、何かを契機に一気に燃えて、100年前のジェノサイドが繰り返されてしまう未来は割と今描けてしまう(現代人がミサイル投下するとか、昨年まではやっぱ想像できんかったし)。正しい危機感を持って生きてゆけと改めて姿勢正される一冊、おすすめ。