矢野利裕さん『学校するからだ』読了。
滝口悠生さんのオススメで知った1冊。学校教員の著者が、学校行事や面白い教員、部活や授業、そしてコロナ禍の学校の在り方など、教育現場の中の細部の描くことで「学校って、なんだ?」という漠然とした問いを紐解いていくような作品。
面白かった!学校に関する普段見聞きする話題ってどうしてもバッドニュースが声大きめになりがちやし、実際外野からみるとその集団行動や階層構造や古き悪き習慣に嫌気が差すけど、たとえそのシステムが悪かろうが、大事なのはその内部のヒトだということをこの本で勇気づけられたし、著者のような先生は外からは見えにくいけどきっと至る所にいるんだろうという希望を持てた。
面白いのが、著者はHIPHOPが好きだったりゴリ文化系だったり、意外と学校というベタな世界とは異なるベクトルにいたというところ。だからこそ両面から見えるものがあるんやろうし、生徒に寄り添うこともできる。ほんで後半、いざ「卒業式」という数ある学校行事の中でも最もベタ中のベタなイベントで、卒業生の名前を呼ぶ段階でもう号泣してしまうくらいにはベタに入り込んでいる笑。「なにくそ学校よ」という反骨精神を持っていたとしても、この先生なら理解してくれそうという思いを抱けそうな気がする(悩み相談して「じゃあパンクバンドを始めたらいいじゃん!」と言われるのはちょっと嫌やけど笑)。
先行研究も読み込まず、最初に頭に浮かんできた意見などたかが知れている。それはオリジナルな意見ではなく、どこかで聞きかじったこもを無意識に反復しているだけである場合が多い。オリジナルだと信じて疑わない凡庸な表現はダサい。
著者は学校での身体性、つまり文章や図式といったヴィジュアルだけの学びだけでは得られない、人と人との肉体的な関係性をとても重んじていることが要所要所に書かれている。その中でも「外付けハードディスクに頼る」という考えはすごく感銘を受けた。
この複雑で過酷な社会を見据えたとき、一般的な意味でのコミュニケーション能力も事務処理能力もあった方が良いのかもしれない。プレゼン能力もディベート能力も高い方が良いのかもしれない。しかし、それ以上に大事な事は、目の前にいる人と、お互いに支え合うような関係性を築けるかどうかとちいうことだと思う。
んで、そんなダイレクトなぶつかり合いを重んじる中で、コロナ禍という、肉体関係とは真逆のディスタンスの世界に突入した時の苦悩は、読んでいてかなり考えさせられた。俺自身は今社会人で、コロナによりリモートワークが広がって、これまで重要と思わされていたフェイス2フェイスがどんどん剥がされていくのはとても心地よさを感じてるし、これからもそうであれ、と思ってる。けど学校という、単に勉学の場以外の意味合いが強い場においてそうもいかないのだ、という著者の強い思いを感じた。我が子達には、どうかこんな先生に出会ってほしい、、とただ望むばかり。
学校に行くのが死ぬほど辛いなら学校なんて行かなくてもいいと思うが、微細な体の交流が完全になくなったら、それはそれで死ぬほど辛いのではないかと思う。学校がそうした社会とのつながりを全面的に担う必要はないが、さしあたりその大きな一部として存在しているのは確かだ。