『みずうみ』 / よしもとばなな
★ × 85
iPodtouchで投稿してみました。めちゃめちゃ時間かかったので今回限りです笑
読んだ時はまあ良かったなぁくらいの感想でしたが、最近ふと思い出す台詞があって、再びランク浮上の「みずうみ」吉本ばななさん著作です。
大好きなママが、パパとの自由な恋をつらぬいてこの世を去った。ひとりぼっちになったいま、ちひろがいちばん大切に思うのは、幼児教室の庭に描く壁画と、か弱い身体では支えきれない心の重荷に苦しむ中島くんのことだ。ある日中島くんは、懐かしい友だちが住む、静かなみずうみのほとりの一軒家へと出かけようとちひろを誘うのだが……。魂に深手を負った人々を癒す再生の物語。
内容(「BOOK」データベースより)
と、「そういえばそんなあらすじだっなぁ」程度の印象。
主人公ちはるが幼児教室の庭に絵を描く場面は朧げに覚えてはいるものの、中島くんとの結末が今一思い出せないのが実際です。
が、ある場面でちひろが放った以下の台詞が、最近妙に胸にこびり付いて離れません。
「ものごとはそれぞれの立場でごく普通に違うものだ。違いを正すために戦うことだけが大切なのではなく、違うということを知りぬき、違う人々の存在理由を知るのがいちばん大事なのだと思う。
私は、私の立場を貫くのが仕事で、そのためにはもっと技を磨かなくてはいけない。知名度がいくらあがっても、永遠にその食い違いは続くので、根本のところでは私の絵が下手なのはあまり問題に関係ない。
でも、違う。自分に自信があれば、違いをもっとすっと貫けるのだと思う。
そこが大切なのだ。」
「でも〜」以前の文章を読んだ時、私は真っ先に吉本隆明さんを思い出しました。
ばななさんの実の父である思想大魔神の著書は以前手に取ろうと試みましたが、あまりにレベルの高い文章に挫折し、以来吉本隆明さんの思想については、インタビューや対談形式のものでしか触れていません。
そんな軽い知識で彼について論じるのは恐れ多くて愚行の極みですが実に勝手に、吉本隆明さんの思想の根底は、上述のちひろの言葉の前段のようなものなのかなぁ、と感じます。
どちらが正しいとかではなく、なぜ相反するのかを考えることが正しい、という理論。
んで、「でも〜」以降のちひろの言葉が、ばななさんの父へのアンサーなのかなぁと。
違う、ということは当たり前で、けれど自らの技や言葉や背中で、1本筋の通った存在になる、それが一番正しい姿であると。(乱文過ぎる)
これは多分職場にいる、決して存在感が強くなく、口下手で、あまり感情を出さないけれど、
仕事に対する熱や、隠しても隠しきれない程の知識力や技術力を持った上司を見てて、この台詞を思い出しました。
自分を磨いて磨いて磨いていれば、弱い犬のように吠えずとも、周囲には「真っ直ぐ立った」存在に見えるんだろうなぁーーー
そんな存在になりたい!笑