『殺戮にいたる病』 / 我孫子武丸
★ × 83
永遠の愛をつかみたいと男は願った―。東京の繁華街で次々と猟奇的殺人を重ねるサイコ・キラーが出現した。犯人の名前は、蒲生稔!くり返される凌辱の果ての惨殺。冒頭から身も凍るラストシーンまで恐るべき殺人者の行動と魂の軌跡をたどり、とらえようのない時代の悪夢と闇を鮮烈無比に抉る衝撃のホラー。
内容(「BOOK」データベースより)
全編に渡って凄惨な描写が続くサイコサスペンス小説。
元警察の樋口、犯人の稔、稔の身内である雅子の三視点から物語は回ります。
稔はネクロフィリアであり、街中で気に入った女性を殺害しては、彼女の一部を切り取って持ち帰るという連続殺人犯。
ほぼ一月おきに事件は発生するも、稔の足取りはなかなか掴めず… (杜撰な犯行にちょっと疑問。日本の警察はここまで甘くないでしょう、と思ってしまいました)
雅子はそんな息子に徐々に疑いを持ち始めるも、母親としてどう対処すべきか掴めない。
稔の狂気には勿論目が離せませんが、この母親の偏屈っぷりもなかなか興味深かったです。
本作が非常に高い評価を得ている理由のひとつとして、このあたりの歪んだ家族描写が、出版当時(1996年)の時代を反映していたということにあるそうです。
今読むと結構当たり前のように読めますが、その当時はある種予言的だったのかもしれない。
とまあ、性と死に偏った狂人物語としてもある程度楽しめますが、ご存じの通り本作はどんでん返しミステリーの金字塔として人気を得ています。
とある1文が物語を根こそぎひっくり返し、前提と思い込んでいたあるべき姿をぶち壊すパワーを持っている、論理思考型の本読みには堪らない作品です。
前評判を知った上で購入したので当然身構えていましたが、全くトリックに気づくことなく騙されました笑
正直言ってこの1文が無かったとしても、「怖いもの見たさ」のホラー小説として、「怖いもの見た時のある種の爽快感」得たさ小説として、普通に売れているだろうと思います。
例えが適切がどうか分かりませんが、新堂冬樹さんの作品群に近い印象を覚えました。
(蛇足ですが、新堂冬樹さんはハートウォーム小説を描く「白・新堂」さんと、その対極の小説を描く「黒・新堂」さんが存在します。
黒い方の『吐きたいほど愛してる。』という作品は、今まで読んだグロ小説の中でも突出したグロ小説です…興味あれば是非ご一読ください)
問題はこの仕掛けに対してどう思うか。
人によっては「だから、何?」と言いたくなる気持ちがどうしても残るだろうし、実際に私もそういった思いが頭を掠めました。
けれどこの仕掛けは決して本以外の媒体では実現し得ないものであり、それを楽しめることはとても貴重です。
それは歌野昌午さんの『葉桜の季節に君を想うということ』読了後も全く同じ感想を抱きました。
ストーリーは、正直言って何も残りません。
本にしか注入出来ない作者の、いい意味での悪ふざけが楽しめたら最高にぶっ飛んだ本です。