『愛を振り込む』 / 蛭田亜紗子
★ × 78
(内容紹介)
ある千円札を手にした女性6人の、満たされない欲望と葛藤をむき出しに描いた、体と心がアツくなる恋愛官能小説。 愛に飢え、自分を持て余し、将来に悩み
―― でも、このまま、ずっと足踏みはしていられないと感じている6人の女性の物語です。
――セックスに溺れているあいだは、厭なことを忘れられた。生活やら将来やら、忌々しい事柄から逃れられる。世のなかにはこういう種類の充足感が存在することを、絹代はずっと忘れていた。
――私はこのまま、自分をごまかして日々の暮らしに埋没しようと努めるのだろうか、と思歩子は考える。それともいつか、あの蓋を開けて飛び込もうと思える日がやってくるのだろうか。
――お金で買われているのだ、そのことを意識するとかえって下腹部の奥に熱がこもるようになったのは、いつからだろう。後ろめたさは、仄暗い快感という養分を全身に送り込む。 振り込むお金は愛だ。そう信じている。しかし、ひどく利己的で傲慢で支配的な愛ではないか。私たちは対等ではない、と穂乃花は胸のうちで呟く。自分は一方的に金を振り込み、「彼」はそれをただ受け入れるだけだ。
――稼ぐことは自立することであり、いくら稼いでも満足などできない。処女を売ったのは十五の冬で、あるんだかないんだかあやふやな存在の膜は七万円に化けた。
――褒められたい、認めてほしい、そんな自己顕示欲が出口を求めて箱のなかで手足をばたつかせている、何者かになりたい、でもその「何者」の具体的なかたちは見えていない。
R18文学賞関連で非常に評価の高かった作品。
蛭田亜紗子さんって何となく聞き覚えがありましたが、『自縄自縛の私』で有名になった作家さんでした。
本作は全て女性が主人公の短編集。
タイトル、装丁から連想されるイメージからさほど違わず、性描写含む恋愛小説です。
他のR18受賞作もそうですが、基本的に主人公は、よく言えば不幸、悪く言えばイタい。
だから当然ウツウツとした描写もあり、けれど短編という限られた分量内で、それらマイナスの日常に対し彼女たちなりに折り合いをつけて話は締め括られるのですが、
オチまで上がっていくこの角度が毎回イマイチ足りないというか、-10まで落ちた彼女たちが最終的にプラスとはならず-3くらいに収束したまま終わるという、微妙にしこりの残る印象でした。
日々の無情感は見事に表現されていると思いますが、オチの部分で少しだけ救いを提供すれば万事アッパレ、と錯覚させられているようで、少し気になりました。
あと肝心の性描写ですが、定刻終わりのオフィスで憧れの先輩とセックスしたり(『となりの芝生はピンク』)、潰れた店の中でラーメン屋の店主とセックスしたり(『カフェ女とつけ麺男』)と、
妙にリアリティが薄いというか、何となく「女性の非日常への憧れ」を狙っているようで、この性描写に意味はあるのか?と何度か感じました。
(それこそ、単純に官能小説を読んでいるかのような…。)
うーん、けれど自分に自信のない私は、どうしても他の方の高い評価が気になります。笑
女心が分かってないと誰かにバッサリ指摘してもらえればそれだけで納得するので、是非どなたかに読んでもらって低能な私に本作の良さを説いてほしいです…