TOMOVSKYさんの『自分らしさなんて』という曲があります。
初めて聴いたときはあまり響かなかったのですが、のちにボディーブローのように徐々に効き始め、これはダメだと思い、3年前にアルバムを購入しました。
以下が抽出した歌詞。
「自分らしさなんて 道ばたに放り投げて 僕は早く僕を やめるんだ
ウソの毎日でも構わない 自分らしさなんて
どんなやつが本当の僕なのか 素顔はどれなのか
そんなことは天国に行ってから振り返ればいい」
これを思いだすは単純な瞬間で、例えば大学のメンバーとクソみたいな会話で盛り上がった次の日に、社会人になってから知り合った友人と落ち着いて仕事の話なんかをしている時、「一体なんだこれは?俺は仮面を被った人間か?」と過ったときなどです。
そんな時に、(俗的に言えば)キャラを使い分ける、といった誰しも思う己のズル賢さを真っ向から肯定してくれるこの曲が頭に流れます。
んで、この曲の入った表題のアルバムを3年前に買ったんですが、このアルバムを1枚通して聴く度、19章からなる1つの本を1時間でギューッと読み切ったような贅沢な味わいを感じます。
それは、小説などとは真逆にある楽しみ方です。
どういうことかと言いますと、本を読む方法論は個人差があるので、あくまで私の場合で書きますが、
例えば小説は、著者の「言いたいこと」が物語の骨子にあり、それは大概1つや2つくらいだったりします。
だからみなさん、物語を楽しみながら、尚且つ著者の「言いたいこと」を汲み取ろうとし、それに成功し、それを咀嚼し納得できた時、「ああ、この本は良かったなぁ、俺に合ってるなぁ」となると思います。
(あ、勿論違う楽しみ方の人もいると思います。)
対していわゆるビジネス本や自己啓発は、見出しが「こんなフォント!」でズバーンと示されており、トップダウン式ですぐに意味が汲み取れます。
だから「言いたいこと」は1つだけでなく見出しの分だけ存在し、私はその中で今の自分に合う言葉を探して楽しもうとします。
私はどちらも好きですが、どちらかと言えば小説のように、「わざわざ何日もかけて物語を読ませといて、言いたいことは1個かよ!」という小説の、なんとも言えない贅沢感、冗長さが好きです。(もちろん、時間を無駄にしたなぁと残念な小説もたまにありますが…)
時間をかけた分響くし、後に残る。
それにフィクションとは言え読んでいる時間は確かに登場人物に成りきっているので、現実をフッと忘れさせてくれる効果があるのも好きです。
……ダラダラ書いていますが、本作は1つのアルバムであり、たかが1時間で終わる。
しかも言いたいことは1つだけでなく、曲の数だけ存在する。
つまり今まで私がダラダラ書いた、
「わざわざ何日もかけて堪能し、言いたいことは1つだけ」
という贅沢さとは対極にある作品です。
なのですが、なのですが、要は言いたいことは、このアルバムが本当に良いということ!!!(乱文すみません)
前述した『自分らしさなんて』は勿論のこと、日常の至る所で作中の詞が降ってくる瞬間瞬間が何度もあります。
例えば90%は上手くいった仕事の、残り10%の上手くいかなかった部分をウジウジ考えながら歩いて居る時に降る『巨大なダムのありんこの穴』の以下の詞
真っ白なペンキたっぷりタプタプ
でもそこにほら一粒 黒を垂らしてしまうのは誰?
オレ
理不尽なことを頼まれたときに降る『ほめてよ』の以下の詞
僕に注文があるなら ニュアンスに気を遣ってよ
忠告のところどころに お褒めの言葉を入れてよ
そして今一番好きなのが『あのハナシのつづき』の以下の詞
ああこんな時でも体の調子は完璧
お腹は鳴る お腹は出る お尻も軽い
髪の毛は伸び 心臓は勝手に動く
そして辺りを見回せば 登場人物がちょっと変わっただけで
最高の人生は まだ続いてるんだよね
(…なんかこんなことばかり引用していると病んでいるように思われそうですが、私は元気です。)
最後に挙げた詞を聴いた時、津村記久子さんの『ワーカーズ・ダイジェスト』や『婚礼、葬礼、その他』を読んだ時と似た感情を抱きました。
「恋をしたり、大切な人が亡くなったり、仕事に忙殺されたり、どんな時でも、腹は減る」
という、か細いけれど100%真実で当たり前なことを言われていて、何故かじわじわ元気をもらえます。
ここ半年のヘビロテ!