『僕らのご飯は明日で待ってる』 / 瀬尾まいこ
★ × 92
内容(「BOOK」データベースより)
体育祭の競技“米袋ジャンプ”をきっかけに付き合うことになった葉山と上村。大学に行っても淡々とした関係の二人だが、一つだけ信じられることがあった。それは、互いが互いを必要としていること。でも人生は、いつも思わぬ方向に進んでいき…。読んだあと、必ず笑顔になれる、著者の魅力がぎゅっと詰まった優しい恋の物語。
瀬尾まいこさんが教師を辞め、作家業に専念する立場になってから出した作品は初めて読みました。
いや…素晴らしかった!
瀬尾さんにゾッコンだった数年前を思い出しました。やっぱすごいです。
主人公の亮太が、高校の同級生だった千春と付き合う1章から、二人が大学生、社会人となり夫婦となるまでを全4章で描く連作小説です。
亮太は実の兄を病気で亡くした過去があり、以来世界を諦めたように過ごす毎日でしたが、
千春と話をするうちに色を取り戻していき、人を愛する感情や、目の前のくだらないことに精を出す人間らしさを取り戻していきます。
大学ではどんなことにも動じず対応する姿から、『イエス』という神のあだ名を付けられるというのもとても愉快。
一方で千春も非常に魅力的な女性で、両親がおらず祖父母に育てられているという環境でありながら、過去を省みず新しい何かを常に求め、陰鬱だった亮太を常に太陽の下へ引きずり出してくれる。
そんな二人が互いのことを分からなくなったりしがらみに行先を邪魔されたり、結構ベタな展開で揉めつつも最終的に仲直り、という、まあユーモア満載の恋愛小説で、どんな人でもさくっと読めるのが一つの魅力。
けれど表題作でもある最終章が、私にとってここ最近の小説の中でも非常に身に染みる内容であり、瀬尾まいこさんの魅力ある哲学をギュギュっと詰め込んだ至高の内容でもありました。それゆえの高評価!!
亮太と結婚してしばらくののち、千春は子宮に病気が見つかり、手術で除去しなければ悪性となった場合に死に至る可能性もあることが発覚します。
ただし手術で除去した場合、子どもが産めなくなる体になるという状態で、千春は何とか手術をせずに子どもを産みたいと願い、いろいろな医者にオピニオンを求めます。
しかし最終的に手術を受けることとなった千春。
これまで千春に救われっぱなしだった亮太が、人生の岐路に立たされた千春を今度は支える立場となったわけですが、彼にとって千春にかけるべき声とはなにか。
手術前の千春にかけた亮太の言葉に、こんなシーンがあります。
俺さ、どんな経験も無駄じゃないって言葉すごく嫌いだった。悲しみや辛さを知った分、優しくなれるし強くなれるって言うだろ?そういうの、ずっとばかばかしいと思ってたんだ。
瀬尾さんの作品はどれもそうですが、柔らかい言葉の中にも、通説とされているような常識や価値観を意外とすっ飛ばしていく感じがあるのがすごく面白い。
これもそう。出産という、女性の持つ大きなファクターの1つを失う千春に対し、三流ドラマの台本の中から選んだような台詞は決して出てこない。
だから私のようなひねくれた人間は、「じゃあこういうとき、亮太なら(というか瀬尾さんなら)なんて言うんだろう」と物凄く興味を掻き立てられる。
んで、私が感銘を受けたのはその少しあとに出てくる次の台詞。
俺、いろいろ探しながら考えてたんだ。何のために生きてるのかって。
まあ、なんだって理由が決まってると楽だからってだけだよ。
小春と結婚するって決めた時も、これからは小春と家庭を築いていくことが俺の目的だと思えて、それまでより毎日がずいぶん楽になったし。
これ、一見投げやりな男のセリフにも見えますが、私は非常に好きです。
結婚した当初は当然亮太は二人の間の子どもを想像し、人生プランを朧げに浮かべて、それが彼の生きる理由となっていたと思います。
それが、千春が子どもを産めなくなって、じゃあ彼と千春の生きる理由は無くなったのかというと、違う。
そのあとの文章にも出てきますが、今度は亮太は、千春のために本を選び、ケンタッキーフライドチキンの新しい味を千春に食べさせたいと思って、ワクワクしている自分がいたと言っています。
今の亮太にとっては、これが生きる理由。
生きる理由は目の前に常にあって、だから楽になっていると言っています。
兄を失って途方に暮れて、周りの色を失ってなにも見ようとしなかった亮太ですが、今では周りを見て、自分の生きる理由をひとつひとつ咀嚼している、というのが物凄く良い。
一冊の中で彼の成長が見れますし、同時に瀬尾さんの思う、人のつながりや生きる意味をここで凝縮しているようにも見えます。
個人的に重なる部分が多々あって、それだけで共感の嵐だった本作ですが、特に最終章は最近考えていたことにマッチングして、とても良い作品でした。
瀬尾ブーム到来!!!!