- 作者: マーシャ・ガッセン,青木薫
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2009/11/12
- メディア: ハードカバー
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『完全なる証明』 / Masha Gessen
★ × 93
内容(「BOOK」データベースより)
百万ドルの賞金がかけられた数学上の問題「ポアンカレ予想」。今世紀中の解決は無理といわれた難問の証明を成し遂げたロシア人ペレルマンは、しかし賞金を断り勤めていた研究所も辞めて、森へ消えた。なぜか?彼と同時代に旧ソ連の数学エリート教育をうけた著者だからこそ書けた傑作評伝ノンフィクション。
くすぶっていた理系スピリットに火をつけてくれた『フェルマーの最終定理』『暗号解読』の訳者である青木薫さんの訳であり、
分子生物学と言う馴染みない分野を、『生物と無生物のあいだ』『動的平衡』を通じて涙が出るほど分かりやすくかっちょよく教えてくれた福岡伸一さんの解説があり、
『乙女なげやり』『悶絶スパイラル』などのエッセイで見事な腐女子っぷりを披露しつつ、『格闘するものに○』『むかしのはなし』のようなパンチ力ある小説を書いちゃう三浦しをんさんの推薦があり、
そしてテーマが「数学の未解決問題」。
こんなにも前評判アゲアゲで俺得な本書、読まんわけにはならんでしょう!ということで昼休みも惜しんで猛読。
期待にたがわず素晴らしい作品でした。
本書は、数学のミレニアム問題(解くことで100万ドル貰える数学の未解決問題)のうちの一つ「ポアンカレ予想」を解いたロシアの数学者、ペレルマンにまつわるルポルタージュ。
特筆すべきは、ペレルマンは彼に関する一切の取材を断り、数学界のノーベル賞と位置付けられるフィールズ賞を断り(断ったのは歴史上ペレルマンだけらしいです)、
そしてミレニアム問題を解いた賞金である百万ドルをも断った筋金入りの世捨て人であるから、当然本書の著者マーシャ・ガッセンも彼に会ったことはなく、本書はあくまで、膨大な「又聞き」から成っているということ。
そう聞くと無論、周りで彼を面白おかしく祭り上げただけの作品かと思って自然なのですが、彼自身が一切噛んでいない為に寧ろ、彼の超人っぷりが際立って結果めちゃめちゃ面白い内容になっています。
それは勿論青木薫さんの強烈な訳も一役買っていますが、それよりも本書の素晴らしいのが、ほとんど数学の知識は要らず、フォーカスされているのは、ユダヤ人という差別対象であったペレルマン、そしてその他著名なユダヤ人数学者がどのように地位を高めていったかという、ある種社会学的な構成になっている点。
ソビエトの特殊性、鉄のカーテンで覆われた中で、数学者たちは他国の数学者たちと議論を交わせず論文すら読めないという状況で、
それでも数学専門学校の一員に選ばれるため努力を重ね、やがてカーテンが開けるのを待つ。
ペレルマンはそんな時代の幕開けにタイミングよく生まれた数学者ですが、彼にとっては政治問題、国際問題の一切が「うっとおしい」対象以外の何物でもなかった。
彼が人と話すのは、己の研究のヒントを欠片でも得る為。
思春期から20代にかけ、知識インプットの為「仕方なく」社会にまみれていた彼ですが、莫大な知識を得、数学の権化と化した30代過ぎから、電子メールも郵便受けも見ない、完全な世捨て人となります。
人はペレルマンが、数学という壮大な分野に押しつぶされ姿を消したとばかり思っていたそうですが、
7年後、インターネットにペレルマン名義で公開された謙虚な論文。
「私はこの問題を解きました。」
その論文の査読は2年かけて行われ、その実はポアンカレ予想を完璧に解ききった内容であったこと――。これが彼のエピソードです。
カッコよすぎて言葉も出ませんが、本文を読むと彼がなぜ姿を消したか、なぜ全ての名誉を拒絶したのか、その「苦悩」部分がありありと見れて、予想以上に悲しい物語であることが分かります。
解説で福岡伸一さんも述べていますが、予想してみて実験してみたら予想通りのことが起こった、ほらやっぱ俺の推論合ってたでしょというプロセスで証明されるサイエンスとは違い、数学は完全に人依存。
自分で物凄い問題を紙とペンで問いたとして、それが正しいと証明されるには、他の人がそれを紙とペンで確認しなければ白日の下に晒されない。
ペレルマンのような誰も到達できない場所にいってしまった人間が感じる孤独って、一体どれほどのものなんだとクラクラします。
そして、人間をそこに陥れる数学って一体なんなんだとうっとりします。
異世界に飛ばされ続けた一週間でした。
著者ガッセンはこれを書き上げたのち、プーチンに関するルポルタージュも出したそうです。
そちらも是非読んでみたい。