沼田まほかるさんの「ユリゴコロ」を読んでいて、アノニマスな手記をベースに進む興味深いミステリーだったのですが、グロテスクな描写に気分が悪くなり、1/3程で断念しました。
選ぶ本、心に響く本というのは、その時の気持ちを素直に表すんだなぁと痛感しました。
私は4月後半から精神的に優れず、当然ながら体調も崩した状態です。
そんな時にリストカットだの描写を目にすると、精神の疲労でやつれた気持ちをそのまま物語に乗せてしまい、結果その作品が怖くなってしまう。
それは著者にものすごく失礼なことだけれど、「今はどうしても無理なんです」と言い聞かせ、その時の精神状態に合った作品を選択する。
現に私は今小池龍之介さんの「もう、怒らない」を少しずつ読んで、自らの安定を求めるような本の読み方をしています。
精神が落ち着いている時は、少し攻めた作品を手に取ることを厭わない。
最近だと「想像ラジオ」や「あなたの中の異常真理」などは、気持ちが落ちている時に読んでいたら、その時の自分を作品に投影して気分が悪くなっていたと思います。
こういった本が読める程安定している時は、ありきたりなビジネス書や自己啓発本が平積みになっているのを見て、
「こういった即物的な言葉を日々サプリメントとして摂取しなければならない程参ってる人が沢山いるのか。
俺は違う。俺は今は安定しているから、こんなものに頼らない。」
といった調子で他人を下に見て優越感を感じているような、イタい人間になってしまいます。
けれど今は180度違う。
明日の自分の心に少しでも力を与えてくれるのであれば、例え即物的な言葉であろうとなんでも手に入れようとしてしまう。
今読んでいる小池さんの本を決して否定しているわけではありません。
けれど摂取しやすい本は、その容易性ゆえ忘れるのも早い。
とにかくその瞬間癒されたのならばもう満腹なので、いざ次に落ちた季節を迎えた時、また同じことを繰り返す。
きっと今の私に必要なのは、刹那的だろうが何だろうが、その時確かに私を救ってくれた言葉ならば、血とし肉とし忘れないようにすること。
苦心して導いた数式を長きに渡って忘れないのと同じように、自分の頭で考え、実行したことは何年も覚えている。
これを成長と言うのでしょう。
文字に起こしてもいいし、人と共有してもいい。
いちいち立ち止まる。
特に今は過食症の時期ではないから、一つ一つの作品を堪能することが大切。
完全に自戒の文章でした。