『春にして君を離れ』 / アガサ・クリスティー
★ × 85
内容(「BOOK」データベースより)
優しい夫、よき子供に恵まれ、女は理想の家庭を築き上げたことに満ち足りていた。が、娘の病気見舞いを終えてバグダッドからイギリスへ帰る途中で出会った友人との会話から、それまでの親子関係、夫婦の愛情に疑問を抱きはじめる…女の愛の迷いを冷たく見据え、繊細かつ流麗に描いたロマンチック・サスペンス。
友人からの薦め、初めてのアガサクリスティー大先生でした。
まず、邦題にヤラレた
原題は『Absent in the Spring』、こんなにも魅力的な訳をつけた中村妙子さんアッパレ!!
2014年度ベストタイトル賞は今のところ本作です。
主人公ジョーンからの視点で9割五分の物語が進み、残り五分でジョーンの夫、ロドニー視点に切り替わって収束する構成になっています。
ジョーンは、娘のお見舞いの帰り道に交通の便でトラブルに巻き込まれ、途中で足止めを食らい家に帰ることができなくなります。
幸せな家庭を築き上げ、己の美貌や人付き合いに何の疑いもなく自信を持っていたジョーンですが、見知らぬ土地で独りになり、することがない彼女が行ったのは、繰り返す自己問答。
夫や息子娘との会話などを思い返し、何の変哲もない美しい日常の一部だと思い込んでいたソレは、実は自分が造り上げた幻想に過ぎなかったのでは?と、ふと心に過ります。
そこからは坂道を転げ落ちるように、疑心暗鬼の塊と化し精神的に追い詰められていく。
私は家族から嫌われていたんじゃないだろうか、
蔑み続けてきたどうしようもない友人がいたけれど、実は私は彼女より劣っているんじゃないだろうか、
わたしはこれまで、とても充実した、忙しい生活を送ってきた、その日その日のことに関心をもって暮らしてきた。
洗練された生き方――というのだろう、そんなふうに均整のとれた、秩序だった生活をしてきた者が、実りのない無為に曝された場合、戸惑いを感ずるのは当然といえる。教養があるだけ、有能なだけ、適応しにくいのだ。
と自己弁護する程自信家だった彼女が、帰路の途中で異常を来し、全ての事実に絶望していく様がガンガン描かれています。
これらの展開は単調であるものの、決して飽きさせない文章力さすがだなと思いました。
そして物語はここで終わらず、ミステリー作家のアガサクリスティー臭が本領発揮されるのは、それらの哀しい描写が9割5分続いた後、最後の最後に姿を現す夫・ロドニー視点からの語り。
ここにはある種、精神的などんでん返しというか、徹底して悲しい小説をまとう為の最後の一手が含まれています。
詳しいことは書けませんが、いやぁ、なかなかに苦しい物語でした。
正直言って登場人物それぞれに救いはあまりありませんが、名作家ならではだと思わされるのは、ジョーン自身に起こったことを、決して自分とは関係ないと思えない程描写が巧みであるところ。
私はジョーンとはかなり立場が異なりますが、これを実際、ジョーン同様夫と子供を持つ女性の方が読むと、より一層己に回帰して考えてしまうのではないでしょうか。
『あなたの中の異常心理』でも感じたように、誰しも異常性を孕んでいますよ、という警鐘を鳴らしているように思いました。
初めてのアガサクリスティーが本作だというのはちょっとイレギュラーな気もしますが、、他の王道作品も読んでみたくなりました。