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内容(「BOOK」データベースより)
生命とは、絶え間ない流れの中にある動的なものである。読んだら世界がちがってみえる。哲学する分子生物学者が問う「命の不思議」。今まで体験したことのないサイエンス・ストーリー。
製薬会社の友人に 『生物と無生物のあいだ』ってすげえよなって話を軽い気持ちでしたら、
『動的平衡』も読まずに福岡先生を語るな!と一蹴されて恥を知ったので、満を持して手に取りました。
昔、『エルマーの冒険』という本を家で読んで、主人公エルマーが困難にぶつかりながらも冒険していく様をワクワクしていたのをよく覚えています。
以来、あまりSF/冒険モノといった映画や本は好き好んで見てきませんでしたが、エルマーを読んだ思春期の高揚感、密封されていたソレが、まさか分子生物学者が書いた本作で爆発して出てくるとは!
それくらい、もうファンタジーに満ち満ちた最高の作品でした。
互いに逆向きの過程が同じ速度で進行することにより、系全体としては時間変化せず平衡に達している状態を言う。 系と外界とはやはり平衡状態にあるか、または完全に隔離されている(孤立系)かである。 なお、ミクロに見ると常に変化しているがマクロに見ると変化しない状態である。
とまあつまり方丈記、「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」に言い換えて間違いではないと(個人的には勝手に)思います。
人間とは、比喩でもなんでもなく諸行無常であるよ、という、デカルトに対するアンチテーゼ。
デカルトは生物を「機械」と見立て、あるパーツが壊れた場合はそのパーツを取り替えることで全体として修復可能だとしました。
対してシェーンハイマーが唱えた動的平衡は、機械論に時間という概念を掛け算していて、
分子が絶えず破壊と創造を繰り返されることで生命としての流れを成している為、それを止めたり戻すことで全体を100点に持っていくことは不可能であろう、という理論。
養老孟司さんが「昔の恥ずかしい自分も自分だ。自分探しってなんだよ、自分はここにいるじゃないか」と昔書いてましたが、
養老さんに限らず、そういう強いメッセージは「精神論」的アングルからは様々な芸術文学で訴えられているように思います。
けれど動的平衡、この視点からだと、人間の分子そのものがそもそも絶えず更新されているから、常に今の自分だけが自分であるというのは当たり前なんだと。
この事実の納得感が、経験則からなる精神論よりも遥かに高い。
(あ、決して養老さんを避難しているワケではありません…)
で、この動的平衡を、私のような庶民にもわかりやすく、更にロマンという要素を積んで説いてくれているのが福岡さんならではです。
本作のどの辺が「エルマー」レベルの冒険ロマン譚かと言われると、なんといっても著者福岡さんの絶妙なエピソードから徐々に徐々に核へと進んでゆくその構成です。
決して只の知識本でなく、その分野の第一線で活躍する世界の研究者の逸話を紹介しつつ、人間という組成の不思議さと、ダイエットを始めとする食品問題の誤った常識を分かり易い専門用語で説いていく。
んで、それらの文体がもう最高にロックでパンクでメタルでハードコア!笑
例えば2章では、「人間は考える管である」ことが論じられています。
それは体内を通る消化気管が、決して体内にあるのではなく、空間的には口をゴールとして外部と繋がっている「体外」であると言う意味です。
この表現は生物学的には言わずもがなだそうですが、そこから訴えかけられる福岡さんの意見が素晴らしい。
私たちは一度、ミミズのあり方をじっくりと観察したほうがいい。そしてもう少し謙虚になるべきなのだ。
私たちは、たとえ進化の歴史が何億年経過しようとも、中空の管でしかないのだから。
…どうでしょうこの結論!俺たちはチクワだから、ギャーギャー偉そうにするなよ、だなんてサイコーにロックじゃないですか!
こういった福岡節を随所に交えつつ、徐々に徐々に確信へと迫っていき、第8章で福岡さんの一番の主張が述べられています。
本作が世に出た2009年からわずか数年でiPS細胞、STAP細胞が脚光を浴び、「人類に敵なし」時代がやがて到来すると信じている世の中です。
当然私もそのうちの一人ですし、私の周りの人がみんな元気になれるなら、どんな治療法でもいいから確立させて下さい研究者さんたち、と人頼みになってしまうのが本音です。
ただし福岡さんはそんな楽観視など決してせず、生命が38億年かけて組み上げた「動的平衡」を逆回転させることは難しいとしています。
果たして可能なのか?それは誰も分からない。
ならばどうするか?
勉強して、勉強して勉強してすべてを白日の下に晒すしかないんだということが、実は第1章に書かれていました。
私もこの言葉を教訓に、まずは自分の分野で勉強して勉強して勉強しようと思います。
脳のほんのわずかしか使っていないなどと言われるが、実はそれは世界のありようを「ごく直感的にしか見ていない」ということと同義語だ。世界は私たちの気が付かない部分で、依然として驚きと美しさに満ちている。
このことから、私たちは重要な箴言を引き出すことが出来る。
「直感に頼るな」ということだ。
私たちは、直感が導きやすい誤謬を見直すために、あるいは直感が把握しずらい現象へイマジネーションを届かせるためにこそ、勉強を続けるべきなのである。
それが私たちを自由にするのだ。