『それから』 / 夏目漱石
★ × 95
( 内容紹介)
社会の掟に背いて友人の妻に恋慕をよせる主人公の苦悶は、明治四〇年代の知識人の肖像でもある。三角関係を通して追求したのは、分裂と破綻を約束された愛の運命というテーマであった。
主人公の代助は父親にパラサイトし、30になっても尚働かず、嫁を貰わずのうのうと過ごす男。
現代となってはなんら違和感はありませんが、70年前という時代においては完全に異端児らしく、代助の父親始め周囲の人々も、そんな代助を恥ずかしく思っているであろう描写がポツポツ出てきます。
けれど代助はあろうことか、友人の平岡の妻である三千代に恋をしてしまう。
平岡の仕事がうまくいかなかったことから、彼ら夫婦は貧乏生活を強いられていたため、おすねカジリ虫の代助は親の金を握りしめて三千代に近づきます。
で、この代助という男が曲者で、働かずパラサイトしている身分のクセに「フィロソフィ」だけはいっちょまえに尖っている。
確かにその「フィロソフィ」は非の打ち所のない理屈で固められていて、実際私も読みながら共感した点を多々ドッグイヤーしました。
けれど中盤以降で、他人から貰った金を握りしめて「気にするな」と三千代に渡したり、寝る前に部屋の隅に香水を振り撒いたりする姿を見て、もうサブイボ立ちまくりです。笑
そんな痛々しい代助に見兼ねて、兄の妻である梅子が代助を否定するシーンがあるのですが、ここが『何者』で主人公が友人の理香に罵倒されるシーンに瓜二つなのです。
社会に身を投じずTwitterで俺は素晴らしい、他人とは違うとぼやく『何者』の拓人。
同じく社会に身を投じず心のうちで俺は素晴らしい、他人とは違うとぼやく『それから』の代助。
そして周囲の人間を代表して、そんな彼らを真っ向から罵倒してくれる理香と梅子。
例えが飛躍しすぎかもしれませんが、読んでいてそんな風に思いました。
(もし代助の生きた時代にネットが存在していたら、彼は間違いなくTwitter中毒者だったろう。「友人は働いているのか?働かされているのか?俺には必要ないことのように思う」とかナウしながら)
私には当時のことなんて勿論分かりませんが、こんなにもネットリとした、女々しさ満載の男が題材となった本作は、果たして出た当初から名著と謳われてたのでしょうか。
現代がやっと『それから』の価値観に追い付いたような、この先鋭性こそがのちに人気を博した理由なのかなとも思います。
ただこうやって様々に考えさせる本書でありながらも、夏目漱石は哲学者でも評論家でもなく「小説家」、後半になってエンタテイメント性が溢れて出てきます。
『こころ』は終盤、胸をえぐるような先生の手記によって茫然とさせられるままに終了しますが、『それから』では親・親戚を裏切り、親友を裏切り三千代と生きていくことを決意した代助の姿が描かれています。
ここでの代助は意思を以てしても、職の無い身分で三千代を支える不透明な将来や、裏切った親友から受けた当然の仕打ちにひどく混乱していて、その描写に読んでいるこちらも混乱させられました。
例えば三千代への気持ちに気づいたときの代助
彼は病気に冒された三千代をただの昔の三千代よりは気の毒に思った。彼は子供を亡くした三千代をただの昔の三千代よりは気の毒に思った。彼は夫の愛を失いつつある三千代をただの昔の三千代よりは気の毒に思った。彼は生活難に苦しみつつある三千代をただの昔の三千代よりは気の毒に思った。
また、ラストのラスト
「焦る焦る」と歩きながら口の内で言った。「ああ動く。世の中が動く」と傍の人に聞こえるように言った。
決してハッピーでない代助のそれからを示唆する終わり方で、夏目漱石どんだけ暗いんだとどんよりした気持ちにもなりますが笑、
それ以上に代助が精神的に成長し、人間の弱みみたいなものを炙り出したこの小説はどこを取っても素晴らしかった。
読んでよかった!!!