帯にある通り「大変なものを読まされてしまった」と読中読後怯え続けた、、超大作!!
『ニワトリと卵と、息子の思春期』で読んだことのある繁延あずささん。あちらは小6の長男に「ゲームの代わりに鶏を買ってくれ」とせがまれ、ウチで買うことになり産ませた卵で小銭を稼ぐという何とも興味深い内容だったけど、本作はそこから数年後経った世界線。コロナ禍で失業した夫が養鶏場をすると決断し、繁延さんは資格を取るために食鳥処理場で3年間働くことに。そして繁延さん夫妻にはあの長男含む3人の子どもがいる。
物語を為す構成要素は以上。そこからは繁延さん視点で、家族みんなで養鶏場をビルドしていく過程、食鳥処理場の面白おかしい人間模様、愛らしくてたまらないこどもたちとの日常を行ったり来たりしながら進んでいく。そこでは決して曖昧な表現ではない、生と死の両側面いずれもの輪郭がくっきりと描かれている。
養鶏場で鶏を育て産んだ卵を売り生活費にすることと、
食鳥処理場で鶏を切断し臓物を取り出し洗うこと、
相反するこの事象の合間合間に、まっすぐな命の象徴のようにスクスクと生きる3人の子どもが出てくる。その尊さとダイナミズムに読んでる最中ずっっとヤラれっぱなしやった。
作中では食鳥処理場で生きた鶏を絞めてバラバラにし「食肉」に変態するまでの過程が結構な割合で描かれている。それこそタイトル通り。業務でAIやロボットを日常的に扱う身としてめちゃくちゃ面白かったのはオートメーション(自動化)の話。無限に流れてくる鶏を処理する描写で、序盤に「いずれこういう仕事も機械化されるのか」とふんわりよぎりながら読んでた。実際にオートキラーと呼ばれる自動機械もあるそうで導入も試したらしい。けれど繁延さんの勤める処理場では結局人手作業に戻ったという。
なぜ人間がやるのか、そこを逃げずに書いてるのがとにかく凄かった。生産性や効率性の競い合いのような生活の中で、生産性や効率性では片付かない問題が提示されていた。生きる・死ぬ・食べるという一続きのノンフィクション大作、是非!
日々ニワトリに産んでもらった卵を売っていて、しかも最後には殺すわけで、ニワトリには有り難さとすまなさしかない。逆説的だけれど、"殺す"ということが、ニワトリをどう飼育するかに影響しているようにも思う。飼育して生かすことと、殺すこと。その両方がひと続きの感覚にあるから、"殺すことを自動化"することに、私は抵抗を感じるのかもしれない。殺すのは人であるにもかかわらず、人がその殺す行為を手放してしまうと、箍が外れてしまう気がするのだ。
