- 作者: ジョン・L.キャスティ,John L. Casti,藤原正彦,藤原美子
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1998/09
- メディア: 単行本
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商品説明
1949年のある暗い嵐の夜。1人の科学者の呼びかけに応じて4人の知の巨匠たちがケンブリッジに集まり、ディナーを共にしながら、人工知能について議論を闘わせた。遺伝学者J・B・S・ホールデイン、物理学者アーウィン・シュレーディンガー、数学者アラン・チューリング、そして哲学者ルードヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン。その夜、彼らがもし本当にイギリスの科学顧問C・P・スノウの家で出会っていたら、『The Cambridge Quintet』(邦題『ケンブリッジ・クインテット』)で展開されるドラマを実際に演じていたかもしれない。この「サイエンス・フィクション」は、今日依然として激しい議論の的となっている、知能とその「金属とガラスとプラスチック」による再現というテーマの草創期がいかなるものであったかを描きだしている。
まずコンセプトが面白い。
国会議員のC.P.スノウ、数学者チューリング、遺伝学者ホールデイン、物理学者シュレディンガー、哲学者ヴィトゲンシュタインという、同じ時代に違う世界で生きた偉人たちが一同に会し議論するフィクション小説。
私はチューリングとシュレディンガーくらいしか知りませんでしたが、個性が際立って議論が進む展開がコミカル、けれど内容はディープという、多面的な楽しみを見出すことができました。
議題は「人工知能」、議論の構図は主にスノウが指揮者となり場を回し、チューリングはコンピュータが人間になり得ることを理系的アプローチで講釈し、他3人が各々の得意分野から賛否を加えています。
あくまで彼らの時代における議論、を忠実に再現しているので、コンピュータのない時代における人工知能はまだ先の話ですが、チューリングの講釈の中には今で言う機械学習やニューラルネットワークの骨子らしい意見も出てきて、なんとか理解できる内容になってます(もしこの5人が現代において「量子コンピュータ」とか語り出す構成だったら全くついていけなかったでしょう…)。
各章では「言語」や「思考」に関し、機械がどう人間を再現していくか、そもそも人間はそれらをどうやって獲得していくか(この辺り遺伝学者のホールデインとか強い)など議論は多岐に渡っていますが、私が面白かったのは、数学者チューリングと哲学者ヴィトゲンシュタインの立ち位置。
サイモンシンの『暗号解読』でも出てきた、戦時中最強の暗号機を生み出したことで知られるチューリングは、人間の思考や発話も細分化(モジュール化)してしまえば一つ一つは全てデジタルな処理であり、それらを集約して一つのイベントを起こしているだけという論者。
つまりは全モジュールを機械に取って代え、密に結合させることで人工知能が実現できると主張します。 これは今の人工知能の考え方と全く同じと思います。
これに対し言語学、論理学にも功績を残した哲学者のヴィトゲンシュタインは、機械はあくまでルールに従って各モジュールを実行しているだけに過ぎず、それぞれの意味もわからない機械と人間は完全に別物だ、と反論します。
このヴィトゲンシュタインが感情的で、対するチューリングが理論的という構図がとても面白い。
淡々と技術論を語るチューリングに対し、にわかに感情が昂り「違う!そうじゃない!人間は機械と違ってもっと深みがあるんだ!」と喚き出す。
他の4人が冷静な分、「政治家のようにヤジを飛ばすおじさん」的立ち位置な彼が可愛く見えました笑(最初の方に出てくる顔写真を覚えておくと尚更堅物感があって面白い)。
議論を理解するのは非常に苦しく、また最後は解決しないという結末で残念ですが、「その後」の章でも語られている通り、本書での議論から数十年経った現在でも人工知能の発展は芳しくなく、将棋や囲碁も処理速度に任せてグリーディに解を見つけるのが結局最強の時代。
Googleがディープラーニングで猫を見つけたことがエポックメーキングとされていますが、処理速度と入力の多さを考えれば人間の脳そっくりに達するにはまだまだだろうなと思っています。
そんな中で本書のような偉人が現代に蘇れば何か起こしてくれるんじゃないか…そんな風に夢を見れるような作品でした。