『ハンサラン 愛する人びと』 / 深沢潮
★ × 90
ここに生まれて生きていく。
喜怒哀楽、フル回転! そして人生はつづくのだ……在日のお見合いを仕切る「お見合いおばさん」の福のもとを訪れる親子の婚活の実態と、家族の裏事情。
青春・恋愛・夫婦、子育て、そして介護まで……痛くてせつない現実をタフに生き抜く老若男女のリアルな姿を活写する。
R-18文学賞受賞作と、書下ろし5編を収録。
切実な人生を生きる人びとが愛おしい――連作長編小説。
R-18文学賞を受賞した「金江のおばさん」を含む連作短編集です。
前述の内容紹介を見ただけではドタバタ家族劇を連想させられますが、実際は非常にシビアな状況を描いた作品でした。
その背景にあるのは、各物語の主人公がすべて「在日韓国人」の家系であるということ。
著者本人も在日なのか?と錯覚するほど韓国文化のオンパレード。
「全羅道」というなじみのない言葉が出てきたり、アボジ・アジュモ二・オッパ・トンソなどといった韓国特有のややこしい家族の呼び方、1歳の誕生日の祝い方などを詳細に描かれていたりして、物語と並行してそれらの新鮮味が面白かったです。
ただ登場人物は日本にいながら韓国籍を持ち、生まれ落ちた時からずっと日本の環境に染まっているのに、なぜか恋人の親から結婚の許しをもらえない、よくわからない仕来りに参加しなければならない、オリンピックに出られない、
何なんだ、何なんだこの生き難さは!
と、全編にわたって沸々とした憤りを感じる、なかなか切ない作品。
手足に繋がれた楔は登場人物を苦しめ、「金江のおばさん」では、日本人の婿を受け入れられない在日韓国人の父親の実情を、こう描写しています。
「在日の人間は、頑ななまでに母国の文化や習慣を守り続ける。
それが、よそものとして日本人の中で生きていく自分たちの支えなのだ。」
在日同士なのに本籍地の問題で結ばれない男女については、「四柱八字」で
「いまだ数千百年も前の百済、新羅をひきずり差別意識の根深い社会なのだから、在日の中にもこのような感覚の家庭があってもおかしくない。
むしろ在日の人々の方が、一昔前の価値観を大事に純度高く保ってきたようなところがある。」
と書かれています。
つまりホーム韓国の韓国人よりも国民性をより強く意識することで、日本というアウェイにいることへのカウンターパンチを放たなければならないということ。
これによってハッピー、本日は晴天なり順調満帆かと言われれば、本書に書かれているように当然そうではなく、自ら振るった剣で少しずつ己を痛めつけているような印象を受けます。
これ程近距離に位置する国同士のこの感じ、本当に不毛ないがみ合いだよなぁとつくづく無力感に襲われます。
私はこんなしがらみ感じたことがないし、歴史も詳しくないし、そんな奴が軽々しく語るな!と怒鳴られそうですが、普通に考えて、直感で思って、やっぱ歪で、変です。
各物語の構成は非常に作り込まれていて、最後には雲間から少し光差すように終わりますが、それでもこの歪さに起因して快晴とはならず曇天のままの自分がいます。
なかなか、考えさせられる小説でした。
ただ最後、「ブルーライト・ヨコハマ」で、呆けた祖父の面倒を見切れず、施設に入れることへの罪悪感を拭えない主人公に対して、親友の放った言葉が心に残ったので記しておきます。
「かわいそうってことはないんじゃない。どっちにしろ本人はぼけちゃってわかんないんだし。
そりゃさ、ちゃんと面倒を見るっていうのは当たり前だし、立派なことかもしれないけどさ。うちね、おばあちゃんのことすごく好きだったのに、ぼけてから変なことばっかりするから、正直だんだん嫌になっちゃって。
嫌いになっちゃいけない、みっとものないって思っちゃいけないってわかってても、どうしても避けちゃうし。それよか、施設に入れて、たまに会って、おじいちゃんを好きでいる方がいいよ。
きっと家族にとってもおじいちゃんにとっても」
ハンサラン=”大きな愛” という意味だそうです。
人間って難しい!!ああ、ハンサラン!!