★ × 90
「恥の多い生涯を送ってきました」
3枚の奇怪な写真と共に渡された睡眠薬中毒者の手記には、その陰惨な半生が克明に描かれていました。
無邪気さを装って周囲をあざむいた少年時代。
次々と女性に関わり、自殺未遂をくり返しながら薬物におぼれていくその姿。
作品完成の1か月後、彼は自らの命を断つ。
内容(「BOOK」データベースより)
2年ぶり2度目です。
以前は何故かレビューを書いてなかったので、絶対もう一度読まなければと思っていました。
世の中には太宰フリークの方々がごまんといるのに、私は本作以外読んだことがありません。
そんな私がレビューをするなど愚行の極みですが、バックボーン抜きで純粋に本作から感じたものを記す、という意味で、恥を捨ててレビューします。
全編にわたり、著者太宰の分身である主人公の苦悩の一生を描いた小説。
私は『ぼくは勉強ができない』のレビューで、現代人が日々感じる悩みなど、とうの昔に文字で表されていると書きましたが、まさにこの作品もそう。
時代背景・職業や性別や肌の色が違えど、「これだよ、これ!」という心情を抉るように、恐ろしく明快な文章で描写しています。
例えば主人公は幼少期、「道化」によって己の弱さを隠すことを覚えますが、それと同時に、互いを欺き合いながら朗らかに生きる人間の難解さに苦悩する、矛盾した心情も抱えています。
現代語で軽く言えば、自分探しがどうとか、キャラの使い分けだとか、気になりだすと止め処なく考えてしまうこの「欺き」という性質に、太宰治は真摯に向き合い(というか押し潰され)、苦悩し文章に綴るまでに至っている。
あとは終盤、己の不幸が他人とどう異なるかについて論じる箇所。
不幸な人の「不幸」は世間に対し堂々と抗議が出来、世間からはその抗議を容易に理解し同情することが出来る。
ただし太宰の不幸はすべて元凶が己の心の内にあり、それ故誰にも抗議しようのなく、同時に誰からも理解し同情されないから、防ぎ止める具体策は無い、と結論付ける。
この辺りを読むと一見、太宰治の苦しみは彼の過敏すぎる神経故の産物であり、我々には遠く感じ難いもののようにも取れますが、
『あなたの中の異常心理』にもあったように、誰しもが太宰に成り得る可能性を孕んでいる、というメッセージにも取れます。
いや、太宰治が自慰的に綴ったか他者へ発信したかは全くわかりませんが、私にはその警鐘に聞こえました。
あともう一つ、文章がめちゃめちゃ面白い。
例えば1頁を越える以下の一文
「お弁当箱に食べ残しのごはん三粒、千万人が一日に三粒ずつ食べ残しても既にそれは、米何俵をむだに捨てたことになる、とか、或いは、…
(中略)
しかし、それこそ「科学の嘘」「統計の嘘」「数学の嘘」で、三粒のごはんは集められるものでなく、掛算割算の応用問題としても、まことに原始的で低能なテーマで、電気のついてない暗いお便所の、あの穴に人は何度にいちど片足を踏み外して落下させるか、または、…
(中略)
お便所の穴をまたぎそこねて怪我をしたという例は、少しも聞かないし、そんな仮説を「科学的事実」として教え込まれ、それを全く現実として受け取り、恐怖していた昨日までの自分をいとおしく思い、笑いたく思ったくらいに、自分は、世の中というものの実態を少しずつ知ってきたというわけなのでした。」
…とまあ、抜粋すると言語ラッシュに辟易しそうですが、これが物語の中だとすんなり咀嚼できるから不思議。
例えは不適切かもしれませんが、川上未映子さんの『乳と卵』を読んだ時のような小気味よさを味わいました。
解説によると本作は太宰作品の中でも特異なものであり、ここまで己を爆発させた作品以外にも、エンタテイメントとして一級品の太宰作品は数多く存在するようです。
現代小説ばかりに浸からず、やはり名著と謳われるものは徐々に読まないかんなぁ…