こないだ『ディス・イズ・ザ・デイ』で久々の津村記久子さん読んで、やっぱいいなと思って帰ってそのまま『ワーカーズ・ダイジェスト』カバンに突っ込んで読み始めたが、
なんというか、10年経ってもこんなにも感動することに感動した。というか初めて読んだ時よりも刺さったかもしれん、ううううううーーーん金字塔!
言語化はむずいけど、何をそんなに面白く思えるのかってのを32歳時点での言語能力で書き記しておこう。
まずは「時間のせき止め方」。
これは大学時代も思ったけど、ブログやポッドキャストをやる今も未だ強く思う。最初の10ページほどでそれはもうギンギンに詰まってる。
寒い冬の朝、頑張ってベッドから起きるシーン。
再びアラームが鳴る。奈加子は、眉を寄せて歯を食いしばって、ゆっくりと、そしてわりにあっさりと起き上がる。そのまま、めくれた掛け布団に顔を伏せて数秒じっとする。背中が冷えてきてようやく、ベッドから降りて電気をつける。
ここで重要なのは、
「そしてわりにあっさりと」
という補助情報。
これ、めっちゃわかる。寒くて起きるんしんどい、だけのこのシーンに、「そしてわりにあっさりと」というスパイスが加わることで一気にリアリティが増す感じ。あらすじをなぞる上で全く不要な情報やから、無理な人は無理な冗長性かも。
けどただ起きて準備するシーンだけで10ページも言ってしまう時間のせき止め方こそ津村さんの真骨頂やし、これを楽しめるようになると、ただ物語の伏線を回収するべく最短距離で駆け抜けようとする小説が急にダサく見える弊害も孕んでる。昔の津村作品は増して一文が長いように思う。マジで、立ち読みでいいから最初の10ページだけでもゆっくりと読んでほしい。
もう1つはやはり『優しい毒づき』。
実際に対談やエッセイを読んでも感じたが、津村さんから繰り出されるコテコテの関西弁でとんちの効いたディス、これは小説でも散りばめられていて、読んでいてどうしてもニヤニヤしてしまう。
満員電車で毒づくシーン。
斜め後ろの中年の男が、ひどく嫌な感じの舌打ちをしたので、頼むから次の駅に着くまでに死んでくれと胸の内で毒づきつつ、もしかしたらプレイヤーの音が漏れているかもしれない、と少し音量を下げる。
もう、サイコー、、!!
まず前半、「死んでくれ」なんて角度の毒づき、例えばここだけ切り取ってSNSで発信したら一億総ツッコミやろけど、冗長な小説の中で実にナチュラルに「死んでくれ」と描かれると、笑わずにはいられない。
みんなそうやろ、集中してラジオ聴いてたらうるさい子供が通りがかって肝心の内容聴き漏らしたり、フツーに歩いてるだけやのにめっちゃスピード出してる危険車両がすぐ隣を走っていった時、ヒトは「死んでくれ」と思うはず。
ただ後半、自分のせいかと思って音量を下げるところで一気にこの表現が柔らかくなって、あぁさっき俺は「死んでくれ」と思ってしまったが、一方でみんなこういう優しさも持ち合わせてるよな、と読みながらホッとする。
基本的に登場人物はダウナーなのに、いつだって少しだけ優しい一面を見せてくれる、そこにいつだってアガる。過度な演出や精緻なロジックを組まずとも、小説はこんなにも残るのだってことを体現してる作品やと思う。マジで一読あれ、です!!32歳になった今もまた津村さんに助けられました。