『転がる珠玉のように』 / ブレイディみかこ
久々のブレイディさんエッセイ。コロナ禍に突入してからの文章は初めて読んだので、イギリス在住のブレイディさんがあの鋭い眼であの期間をどのように捉えてたか、とても面白く読めました。
てかやっぱり文章うんま!
思うとこあったのでいきなりレビューから逸れます。。少し前から永井玲衣さんの最新エッセイを読んでるんですが、どうも前作よりも読み辛さを感じている。各エッセイともタイトルからケツまで細部まで拘って文章化されたすごい熱量なんやけど、めちゃ失礼ながら何故か心に来ない、、という経験を繰り返し未だ読み切れてない。
このモヤモヤが、本書を読むことで解消されたように思う。本書も同じくとあるテーマに対しブレイディさんの視点から切り込んでくエッセイであり、細部まで熱が行き届いた作品になってるが、決定的にうぅと唸らされるのは「ユーモア」部分。
本書に限らずだが、ブレイディ作品はいつだってクスッと笑える。故に喩え重いテーマでも読み進められる。このユーモアは文の巧さの更に奧、著者自身の人間力から来るものと思うので、本を読むといつもブレイディさん自身に対するファン度が上がる感覚となります(永井さんファンの方すみません、、)。
レビューに戻ります。イメージはしてたがやはりコロナ禍のイギリスは前にも増してカオス化しており、生活がままならない人が増え、そんな政治に対しストという態度で臨む人が増え、故にインフラ始め経済がさらに回らないという負の連鎖が続きまくっている(たまたまYouTubeでジョンソン元大統領の最後の国会答弁を見て「カッコいいな」とピュアに思ってた気持ちも冷めました笑)。また、ブレイディさんのパートナーがガンで入院を繰り返したり、日本にいるブレイディさんの母親が亡くなる等、国政以外の日常においても中々に辛いエピソードが続きます。
そんな中でも、冒頭書いた通りブレイディさんのユーモアから描かれるイギリス社会、家族や周囲の人物描写にいちいち笑ってしまう。元気をもらえる。イギリス行ったみたいとすら思える。正にエッセイの理想系というか、これぞ本を読む意味!とまで思わされました。
「今回は5年前とは違うから。僕はこのカレッジは選ばない。自分が決めたところは別にある」
おお、と思った。「あなたがどう思おうと関係ない。自分は自分の道を行く」と言えるようになったのだ。正直、ここまで来ればもう子育ては終わったも同然だろう。
わたしが1980年代に初めてこの国に来たときに驚いたことの一つは、公式の場で女性が男性の一歩後ろを歩いていないということだった。というか、英国ではそれが完全に裏返っていた。女王は常に夫のフィリップ殿下の一歩前を歩いていたし、サッチャー首相もぞろぞろ男性官僚や議員を従えて先頭を歩いていた。こういう写真や映像を見て育つ人は、日本で育つ人とは違りマインドセットを持つようになるだろうと思った。
刺さった文はこちら。『他社の靴を履く』で紹介されていたアナキズムの重要性を、コロナ禍のイギリス在住のブレイディさんから改めて説かれた気がして、別の意味でいろいろ残念なこの日本でも声を上げてヒトを頼ってユーモア持って生きていこう!と元気になりました。
コスパとタイパを追求するなら、生まれてこないのが一番いい。生まれてこなければ一銭もお金を使わないし、時間も使わない。
迷惑にしても、費用にしても、時間にしても、人が生きている以上は「かかる」ものであり、「かける」ものなのだ。それをかけないようにするというのは、生の倹約であり、もっと平たく表現すればケチである。
