『いのちの車窓から2』 / 星野源
星野源さんのエッセイ続編。前作をいつ読んだかもはや忘れたが、本作はSUNや逃げ恥から一躍時の人となり、コロナ禍が訪れ、そして新垣結衣さんと結婚し家庭を持った2017年頃から今に至る直近の星野源が描かれていてとても興味深かった。
tofubeatsの『トーフビーツの難聴日記』が、アーティストとしての日常を細部まで描くことのハードルをぐぐぐっと上げたからか、星野源が部屋で音楽を作ったり妻とピクニックに行ったりする描写にそこまでアガらなくなってしまったが、やはりこの人はアーティストや役者業以前に文筆家であることを改めて思い知らされる程には文章クソ上手かった。
アーティスト星野源を評する時、音楽性や声や前髪重め系塩顔など様々な角度があるけど、自分はやっぱりその歌詞で、どれだけスターダムを駆け上がろうと、俺には『みんなが好きなものが好きでも それでもいいのよ』『どんなことも 胸が裂けるほど苦しい 夜が来ても すべて覚えてるだろ』と歌ったその諦念や隠キャ性を持った男、という風に映る。だから本作で、あまり意識して聴いてなかった『恋』の歌詞について知ることができて今更ながらこの価値観にくらった。
人間自体が生まれるには二人必要だが、相手が人間であろうがなかろうが、愛が生まれるには自分ひとりいれば十分であり、その愛や恋の終着点はそれぞれで勝手に決めていいのだ。
だから1番の歌詞には「この世にいる誰も二人から」と書き、2番では「愛が生まれるのは一人から」と書いた。
あとは出てくるメンツが友人の生田斗真や妻の新垣結衣と、サラッとエグくて笑ってしまった。そんな彼らが、普通に旅行に行ったり飯を食って燃えるゴミを出して悩み相談したりする姿はミーハー心としてやはりアガった笑。この煌びやかな世界でここまでパーソナルな世界を描けるのはやぱ星野源しかいない!と再認識。どんだけ魅力あふれる男なのだ!!
他人が見る可能性のある場所では、人間はどうしても「表現」をしてしまう。そこに本音や本心を書くことはできない。「周りを気にせず、本音を書きました」そんなのは嘘だ。閲覧数やいいねの数、周りからどう思われるかをまったく気にせずに投稿できる人は100%いない。それは本音ではなく、本音風にデコレーションそれにまな意見でしかない。だからそんな場所では、言葉の排泄はできない。
では鍵をかけた誰も見ないアカウントでの投稿であればいいのかというと、それも何の意味もない。フォロワー0の誰も見ることができない鍵アカウントでの発言は、自分の脳に刺さって抜けないUSBメモリに文章ファイルを保存する様なもので、体の外に出ていないのと一緒である。
