森喜朗さんキッカケでフェミニズムの本を読むようになり、『キングコング・セオリー』ではフランスの事情を知ることができるなど、やはり本は自分の価値観を広げてくれるなぁと思っていたところに、今回は隣国である韓国発の『失われた賃金を求めて』読了。
マジで全国民読むべきの今旬マスト本でした!
著者はイ・ミョンギンさん。冒頭、「女性がもっと受け取れるはずだった賃金の金額を求めよ」という問いからはじまる。その言葉の意味はのちの章で1つ1つ語られていくが、要は過去、いくつもの障壁により雇用や出世が拒まれ、その度に未来をあきらめざるを得なかった女性が、もしそういった障壁なく男性のように生きてこられた場合、失われた時間の中で生まれたはずの賃金はいくから?という意味。
これは勿論本書で明確な回答があるわけではなく、世の中に対するキョーレツな、けど当たり前の問題提起。今全国民が読むべき理由は、これが遠い国の物語でも何でもなく、OECD加盟国で男女平等の指標において日本とワーストを日々争ってる韓国の物語であるがゆえ、当事者意識として読まざるを得ないところにある。
韓国文学が数年前から流行ってるが、あれは自国(韓国)を描くと同時に、「他国から見た日本」のことを描いているようにも捉えられることが大きな理由やと思ってるが、本書なんてまさにそう。
(とか思いながら読んでると、実際に電通の過労死自殺事件も取り上げられていた)
読んでて、今まで自分が生きてきた長くない人生においてのアルアルが滝のように溢れ出てきてて、もうぐうの音も出なかった。
新卒は女性比率が高いのに上層部には1/10にも達しない、などのよく知られた状況とかは言うまでもなく、例えば「〇長・副〇長」のように集団のtop2を決める場において、副〇長に女性がつくことなど、学生時代にはそもそも前提にもなかったように思う。(実際、高校時代に部長になったときも、副部長になるという解など自分の中に全くなかった)しかもその状況を女性側もある種当然のように受け入れてて、それはもう生まれてからずっと、洗脳のように体に叩き込まれた価値観みたいなもので、
だからやっぱ子どもに「男の子なのに~」「女の子だから~」という枕詞付きの価値観を植え付けようとするのは滅茶滅茶キケンなことなんやなと改めて背筋を正した。
書いてあることは一般的なフェミニズム本とそう大差はない気もするが、本書が良いのはとかく言い回しがうまいところ。
女性のエリート層進出が少ない理由に女性の無能さをあげ、無能さの証拠に女性のエリート割合が小さい、鶏が先か卵が先かのループを断ち切らなくてはいけない。
これは刺さった。。「どうせ結婚して辞めるんやし」、は最近こそあんま聞かんくなったが、自分が就職活動する10年前くらいは全然あった一般的なフレーズにも思うし、今でも似たような言い回しを会社内で聞くことも多い。ただこれ怖いのは、無意識のうち植え付けられたステレオタイプゆえに自分も無意識下でそういった言動してそうだ、てこと、、もうここまでデータとして明確な差別が出てる以上、おかしいことはおかしいので、慣れぬうちは意識的に、不自然でもいいからこの毒を体から抜いてく作業をしないと、人として終わってしまう。読み終わったらメルカリで売ろうと思ってたがとんでもない、常にリビングに置いておくべき素晴らしい1冊でした。