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内容紹介
ガンやSARSで騒ぐことはない。そもそも人間の死亡率は100%なのだから――。誰もが必ず通る道でありながら、目をそむけてしまう「死」の問題。死の恐怖といかに向きあうべきか。なぜ人を殺してはいけないのか。生と死の境目はどこにあるのか。イラク戦争と学園紛争の関連性とは。死にまつわるさまざまなテーマを通じて現代人が生きていくうえでの知恵を考える。『バカの壁』に続く養老孟司の新潮新書第二弾。
『バカの壁』以来2度目の養老さん。
バカの壁で1つ印象的だったのが、「これだけの人が生きる社会で、自分のことだけを考えて生きてはいけない。」という意見。
吉本隆明さんの「大勢の人が集まるところに正しいことはありそうだ」という哲学に似たもので、この頃人を傷つけてでものし上がる起業家の是非についていっちょ前に考えていたので、とてもしっくりきたのを覚えています。
本作は第2弾だそうですが、個人的にはこちらの方がより養老さんの主張が全面に出ているような気がします。
まず1つ、絶えず人間は変わりゆくという諸行無常の肯定に納得しました。
本当の自分が常に今の自分で、過ちを犯した過去の自分は自分じゃなかった、という意見に対し、
「そんなはずはない、それ以外のお前はお前以外にどこにいるんだ。」
というカウンターが何とも気持ちいい。
たとえは悪いですが、タナダユキさん監督「百万円と苦虫女」を観た時と似たようなメッセージ性を感じました。
これは決して過去を省みずとも良い、前だけを向いておけば良いということにも捉えられますがそうではなく、反省する際の前提として、過去の自分を認めろと言っているように気がします。(そう考えると意外と手厳しいオピニオン)
もう1つの表題にもある死生観について。
養老さんの主張は、考えるべきは自分の死でなく周囲の死、二人称三人称の死をどう受け止めるかを考える方が意味があるというものです。
確かに世の中で唯一、自分の死というものだけ実体がない。
実態がないものを考えたところで絶対に答えがあるはずもない。
そうではなく、実体を持って人生で何度も拳を振るうのは、いつだって圧倒的に周囲の死です。
「人生1度、君は死ぬまでにどう生きるか」とやたらお尻に火を付けたがる世の中で、こういった死の捉え方はとても新鮮でした。
そしてこの考えを拡張すると、自殺も絶対にしてはいけないことになる。
己にとっての一人称の死は周囲にとって二人称の死であり、その影響というものを考えなくてはならないからです。
ただ、私がいざ絶望の淵に立たされたとき、養老さんのような悟った考えを持つほど心にスペースはないでしょう。
自分の死に恐れがない、とは全く言い切れません。
私にとっては現段階で、養老さんを憧れの的として思っておくのが限界。
二人称の死を今後迎えるときに、まあ発狂するほど心を傷つけられるでしょうが、それも自分だと認め、いつかこういった論理で物事に対する人間になりたいと思います。
とてつもなく頭の良いおじいちゃんが一方的に語っているので、捉えようによっちゃ一方的に押し付けられるようにも感じますが、こうやって普段目の届かないような論理に頭を持っていくのはやっぱり気持ちいいです。