『何もかも憂鬱な夜に』『土の中の子供』『掏摸(スリ)』以来の中村文則さん、本作はデビュー2作目で、24~25歳の頃に書いた作品だそうです。
…と書きながらちょっと茫然。
読み終えた今、たかだか20代前半の人間が描くものとは思えない内容。
人間の本質を徹底的に深追いして具現化された、真相心理学や哲学のような漠然と飛散した粒子をギュッと丸めて物語に乗せたような小説でした。一気読み。
主人公は美紀という彼女を事故でなくした大学生。
けれど友人には美紀の死を隠し、彼女は今アメリカにいて英語を学んでいて、毎日電話やメールのやりとりをしていると嘘をつきます。
なぜ嘘をつくのか、それは簡単に言えば虚言癖なのだけれども、そうすることで主人公の心は優越感に満たされ、美紀が本当に生きていると己を錯覚させている。
加えて、主人公は自分のことを常に客観視しており、例えば嬉しいこと、悲しいことが正に起こっている最中、そこには彼を見るもう一人の彼がいて、「今の場合こうすることで人を楽しませられる」「今の場合こうすることで人に怒りを伝えられる」という判断を下しながら自分の立ち振舞いを選択している。
これも言ってみれば自意識なんですが、一見過剰すぎるソレも、ふと自分の立場に置き換えたとき程度はどうであれ近しいものを感じて、あぁ自分って中村さんに言わせるとこんな感じなのかなと耽ってしまう。
中村文則さんはそういう、認めたくない自分の唾棄したい部分を言葉に表してくれる力が非常に強いと思います。
それ故に心が痛いのですが。。
んでネタバレですがもうひとつ重要なファクターとして、主人公は美紀の死体から指を焼き取り、瓶に詰めて持ち歩いている、という秘密がある。
有名なところで言えば『世界の中心で愛を叫ぶ』論、愛した人の一部を携帯するというテーマを、中村さんなりに説いています。
彼は瓶に触れることで安心を覚え、瓶が見当たらないときに不安に駆られる。
瓶は美紀そのものであり、今も彼のそばにいてくれていることを示している。
んでいかにも中村節なのが、そんな自分が狂っているということも彼はちゃんと客観視し認識しているところ。
「純愛」だなんて言葉では決して片付けない、明確に狂った己を意識している、そしてそんな自分にすらある種の優越感を感じているようなフシがあります。
こんなこと言ってほしくないなぁ…と思いながらも、他の小説では決して味わえない、真理を突くようなスリリングな展開は本当に本当に素晴らしい。
そして最後、ここはさすがに言えませんが、まあ中村作品に初めて触れたのが本作だって人は驚愕するのではないでしょうか。
「徹底的」「完全」という言葉が最も似合う作家、本作も100%の想いで命を削って書いた感が伝わってきて、すっかりお腹いっぱいです!