金原ひとみさん『パリの砂漠、東京の蜃気楼』読了。
去年『アンソーシャルディスタンス』で遅ればせながら初めて金原ひとみさんを読んで、セックスドラッグロケンロール推しに若干怯みつつも、なんかこの世界にハマるのもわからんでもないなぁ・・という印象を持ったが、エッセイである本書を読んで、金原さん自身も過去にアル中や摂食障害や自傷行為など経験しており、つまり小説で描かれている世界って金原さんの人生丸ごとが投影されてるものやったんや、、ということを初めて知った。
前半はフランス、後半は東京での日常を描いたエッセイ。執筆当時の金原さんは今の俺と同い年やけど、本書全編通じてずっと、言葉にできない不安や悲しさや怒りを纏っているということがわかる。それはフランスにいても東京にいても同じで、土地が変われど、家族や友人、仕事、店員、道ゆくナンパ、周囲の全てに対して何かしら感情を持って、それを文字に起こしてる。一見文句ばっか垂れてて生き辛そうやな金原さん、と思ってまうけど、ただ金原さんは文字の起こし方が上手いから目立つってだけであって、こんな風な感情って俺含む読者皆々様も同じように抱いてるんじゃないかと思った。
私がフランスに住み始めた時は、誰も教えてくれなかったから国民健康保険にも2年くらい加入しないまま過ごしていた。加入手続きをしてからも書類足りない攻撃に遭って加入できなかった。そもそもその書類を取得するのに必要な書類が手に入らず、その書類を取得するのに必要な書類を手に入れるために 翻訳を頼んでようやく手に入れた書類が理由も明かされずに弾かれたりもした。そんなこんなを経たおかげで、不動産屋に嫌味を言われても「アボン」という気の抜けた一言で頭を真っ白にする術が身についたのだ。全ての価値を無効化する魔法の言葉だ。
上記のように句読点少なめでドロロロ〜ッて垂れ流されてる感情って、日常で多かれ少なかれ、ある気がする、ただ俺には堰き止めて文字に起こす能力がないだけで。エッセイを読むことの一番の意義って、自分が普段抱いている無意識の感情を、文筆家の方に文字で表現されることであぁ俺はあの時こういう風に思ってたんだと具現化された時にカタルシスを感じることやと個人的に思ってるけど、金原さんのありのままの垂れ流された文章はまたちょっと違う感じというか、なんやろ、「こういう風に生きてる人が、少なからず居る」という事実を知ることで己の人生に少し深みが出る感じ、みたいな。そういう、危ういけどなんとも言えない魅力を文章と著者から感じた。
「丁寧で愛想が良くて気遣いができる、それが日本の女性が自分を守るためのシールドになってるのかもしれない。だとしたら、そんなに空気読まなくていいのにとか、気い遣いすぎだよ、なんていうアドバイスなんて向こうからしたら糞食らえって感じですよね」
こんな風に、ストレートに描かれることで爽快感を感じる場面も多々あった。金原さんの小説ももう少し読んでみようと思う。村井理子さんもそやけど、今年はほんまエッセイ当たり年!