『こびとが打ち上げた小さなボール』 / チョ・セヒ
★ × 87
内容(「BOOK」データベースより)
取り壊された家の前に立っている父さん。小さな父さん。父さんの体から血がぽたぽたとしたたり落ちる。真っ黒な鉄のボールが、見上げる頭上の空を一直線につんざいて上がっていく。父さんが工場の煙突の上に立ち、手を高くかかげてみせる。お父ちゃんをこびとなんて言った悪者は、みんな、殺してしまえばいいのよ。70年代ソウル―急速な都市開発を巡り、極限まで虐げられた者たちの千年の怒りが渦巻く祈りの物語。東仁文学賞受賞。
『スウィングしなけりゃ意味がない - bookworm's digest』に続き重ための国外が舞台の小説、今回は韓国です。
韓国の小説は『ハンサラン 愛する人びと - bookworm's digest』以来?映画はよく観ますが小説はあまり知る由もないのですが、本作は母国では名著とされているそうです。
なかなかに読み疲れましたが、、読み応えたっぷり、韓国映画のような容赦なし小説でした。
舞台は70年代、著者に言わせれば
破壊と偽の希望、侮蔑、暴圧の時代。
自由とか民主主義とか口にしただけで捕らえられ、恐ろしい拷問を受け、投獄される。
時代だそう。私は無知で歴史に疎いですが、そんな時代だそうです。
それを知った上で本作を読むと、それでも書ききったことが信じられないと思うほど、時代に逆行した内容です。
連作短編集で、主人公は誰かと言われるとヨンス、ヨンホ、ヨンヒという3人の兄弟で、彼らは父親が「こびと」(※差別用語ですがそのまま書きます)であるが故に、差別され自由に生きられず、苦しい生活を強いられています。
表題の『こびとが打ち上げた小さなボール』では、ヨンヒという妹が、家を強制的に撤去させた売買契約者の元へ忍び込む。
そこで毎晩カラダを売りながらチャンスを伺い、夜中に契約者を麻薬で眠らせた後に金とナイフを奪って逃げる、というシーンがあります。
文字で書くとセンセーショナルでわかりやすいですが、著者の(そして訳者の)あまりに上手な描写に読んでいる最中はずっと救われない気持ちでした。
永遠について私に言えることなど何もない。一晩が私には長すぎる。
いざ彼女が撤去確認原本を持って帰ってくると、こびとである父親は煙突から落ちて亡くなっていた。これで本短編は幕を閉じます。
また、『ウンガン労働者家族の生計費』と『過ちは神にもある』では、ヨンスという兄が工場で強制労働させられる様が描かれています。
そこは摂氏39度、飯は麦飯とキムチだけで1日の大半をドリルで穴を開け続ける作業に従事している。
ヨンスは使用者(雇用主)に対し、自分たちが如何に不当な扱いを受けているかを主張するシーンがありますが(この辺、時代背景を考えると発禁でもおかしくない)、人を人と平然と思わない、時代の潮流に完全にマヒった使用者たちの佇まいは異常で、なんたる闇かと気が重くなりました。
これだと単に、人の不幸を知って自分の幸せを確認するために本作を読んだのかと思われそうですが、
紹介した上記3編に限らず、本作の肝は著者の、というか訳者の、現在と過去を行き来する描写の上手さにあり、それがあったからこれほど重い内容でも読めた、という点です。
過去、とはヨンスたちが父親や母親と会話したシーンが主で、それらが突如差し込まれながら現在の描写が展開していくのですが、それがあまりに自然で、映画的な格好良さがある(伝えるのむずい)。
訳者のあとがきを見ると、過去のシーンの段落を変えたのは訳者だそうで、それもまた本作を読みやすくしている要因です。
(逆に言うと、段落分けがないとかなり読みにかったかと思います、、)
以前『動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか - bookworm's digest』のレビューで、分子生物学という難解な学問も、福岡伸一さんという文筆家にかかればこんなにも面白く感じられると書きましたが本作もそう。
70年代韓国という、2000年代日本の私からしたら全く未知の世界の不条理も、著者にかかればこんなにも伝わる。
大長編ですがトリップしたい方は是非!