今日から奥さんと娘はいとこのお通夜と葬式のため帰省。こうゆうとき俺は行くべきなのか調べていたが「遺族の意向」が基本らしく、奥さんを通じて田舎のお母さんに聞いたところ、気を遣わせるので来ないほうは良いとのことで俺は留守番。特急列車で帰っていったが娘はだいぶご機嫌斜めだったようでお疲れだろう嫁よ・・大変だろうがどうかご自愛なさってください。
昼はいつものタリーズで勉強。前から気になってたDeep LearningのC/C++実装にチャレンジ。と思って軽くサンプルコード調べてみると『tiny-dnn』とやらが異常に便利なことを知る。
github.comGitクローンして所定の場所にヘッダを置いてインクルードするだけで畳み込みもプーリングも自由自在。ネットワークもKerasばりに積み上げやすく、4層CNNでMNISTなんてあっという間に組めてしまう。推論も(測ってないが)数ms程度で動いてそう。うーーん組み込みAI、アツい!
夜は近所の後輩夫妻と焼肉&カラオケ。奥さんはほぼ初めて遊んだが、ゆら帝とか歌ってもノッてくれるすごくいい人だった。後輩は昨年末くらいに不妊で悩んでると打ち明けてくれてたので、今日は娘の話をしないほうがいいのかと行く前から考えていたが、奥さんのほうから娘の話や育児の話を振ってくれて、あぁ俺はまたしても考えすぎて変な気を遣わせてしまったと反省。こういうときの会話ってホンマにむずい。岸正彦さんも『断片的なものの社会学』で書いてたが、結婚している、子どもがいる、といったことがどうして正義のように扱われるのか、逆の場合はどうして何かしら腫れ物に触るような空気になるのか。いくつになってもその年齢に応じて「本来、このくらいの年やとやってて然るべきこと」みたいのが暗黙にあって、そこをクリアしてない場合空気がピリつく、みたいなやりとりからは逃れられんのか。将来ジジイになっても10-FEETとか聴いてたら、囲碁してる友人とかから疎まれるんやろか。未だジャンプを毎週買ってる同期がいるが、それはリスペクトすべきことやと思う。何書いてるかわからんくなってきたが、どんな状況でも自分のことを素直に話して他人のことを素直に聞ける人になりたい。