佐藤友美さん『ママはキミと一緒にオトナになる』読了。良かった、、!!
小学生の息子との二人暮らしを通じて佐藤さんが感じたことを徒然なるまま描かれたエッセイ。ちょうどコロナ禍3年間分、息子くんが小学3年から5年くらいの時期で、その当時の学校の移り変わりや各々の倫理観みたいのが細やかに描かれてるのが興味深い。恥ずかしながら知らなかった著者・佐藤さんの、そういった状況や人間の描き方がうま過ぎて、自分の子が正にこの4月から小学校に通い始めたというのも重なって、もう何故か読んでる最中ずっと目尻に涙浮かんでた。笑 その理由は2つあると思ってて、「何事にも対して基本的に肯定的であるところ」と「あくまで『わたしはこう思う』と主張してるところ」。これはもう自分自身が長年、こうありたいと思いつつも中々できてないことやったので、それを悩みながらに実践されてることが伝わってきた。
子育てに間違いなんてものはないし、正解だってないんじゃないかと思う。それが間違ってるとか、私の方が正しいとか、仲間たち同士で争う必要もない。一度決断したことでも、違う考え方に触れて感化されたら、ほいほい尻軽に乗り換える適当さも持ちたい。
あとこの息子くんがもう、アタマが良くて物事を捉える目が鋭くて、同じように(手前味噌かもやけど)鋭い感性を持ってる自分の娘がズバズバと重なって、それももう、涙ちょちょ切れやった。
好きなことだけしていたら、将来困るのかどうかも、僕にはわからない。判断材料がないのに「好きなようにしなさい」って言われると、悲しい気持ちになる。ちゃんと相談にのってほしい。
ママ、死なないでよ。死んだときに、ママはこんなふうに僕のことを思ってくれていたんだとか、読むの、絶対悲しすぎて嫌だから。
こういった発言、ウチの娘も度々する。その度にこちら側は試されるような、オトナ社会で培った事勿れ主義が許されないような、そんな緊張感ある空気になると同時に、この細かなやり取り全てが娘の哲学を形作ってくのだと思うと、本気で応えようと気合いが入るような気持ちになる。そういった光景が本書でも描かれてて、その度に著者は、悩みながらもドッシリと、聞く・待つ・考えるといった、基本的やけど最も重要な行為を繰り返しながら構えてて、あぁ素敵な親御さん、、!という気持ちでいっぱいやった。
子育て本、と括ってしまうと、著者・佐藤さんの人間力を知ることができない人がいるのが勿体無い。安易な自己啓発本より啓発されまくった素晴らしい本でした、オヌヌメ!
「いいね。僕も好き」「うーん、あんまり好きじゃない。なんか、ごめんね」