植本一子さん、碇雪恵さん、柏木ゆかさん『われわれの雰囲気』読了。
著者の1人、柏木ゆかさんが事故に遭い、ICUに入ったが意識が戻らないと一報を受けた他2人が、意識が戻るまで日記をつけ、いつかまとめて本にして売り上げを柏木さんにあげる、と決めて作られた作品。左から読むと植本さん碇さんの縦読みの日記、右から読むと柏木さんの横読みの日記という、同じ時間軸を第三者と当事者に分けて書かれてる見事な構成になってる。
まず、大切な友人が事故に遭うという有事の際に、自分の気持ちを文字に起こすという発想が素晴らしい。そういった不安な気持ちを昇華させる方法はさまざまあれど、個人的には、というか大多数の人にとっては文字に起こすという行為がそれであるとあまり直結しない気がしていて、そこは物書きならではの脳の動きだなと思った。
私は右方向へのページめくりで、植本さん→碇さん→柏木さんの順、つまり第三者1→第三者2→当事者の順で読んだ(多分大半の人がそうだろう)。前の2人の日記は、柏木さんの意識が戻った時間までが記されている。つまり、いうなればハッピーエンドになっている。冒頭意識が戻ってないことを聞かされた時の気持ちと相対的に比較すると、最後は明らかに光差す方向に気持ちがいってるから。
ただし3人目の当事者である柏木さんの日記には、意識が戻った後も、入院生活の中で自分に起こるさまざまな体調の変化(脳の場所が移動している、モノを拾えない、、などなど。描写はかなり生々しい)が記されている。ここを読むと、全くハッピーエンドなどではなく、苦しい生活を送っていたことが分かる(ICUに入ってるから考えてみれば当たり前)。前2人の日記を読んでなんとなく安心していた自分に今1度「永遠に続くものなど何1つないのだ」とハンマーでガツンと殴られた感じやった。