『結婚とは何だろうか』 / 些末事研究vol.9
久々のリトルプレス。何の勘違いか、こないだ初めて訪ねた山陰地方の独立書店『句読点』の店主さんが出版に絡んでると勘違いして買ったが、何の関係もなかった。けどタイトル通り、直球過ぎるが故に若干タブー視すらされてる感のある「結婚」をテーマに纏められてて、値段設定よりはるかに読み応えありました。
ライターの方々の結婚に関する寄稿も良かったが、本書の半分以上のページを割いて真ん中に鎮座する4人の対談をまとめたものが特に素晴らしかった。特に荻原魚雷さん!知らなかったがいくつか本に関する著作も出ているそうでとても気になる。
「とにかくやりたいことをやるって自分の意志ばっかりでね。妻と付き合って、お互い歩み寄って、改善というか、自分のやりたいことと相手のやりたいことを調整していくうちに、自分の価値観が変わっていって、結婚するってそういうことなんじゃないかって、ふと思えた。」
「自分でやってきたことを、結婚によって損なわれないかなっていうのは?」
「独身のころは損なわれると思っていた。でも損われるんじゃなくて、何かそこでいろいろ試行錯誤するのがそんなに苦じゃないというか、むしろ得るものが大きいと思えるようになった。
「自分がどっちかに偏ってたとして、でも、家族全体を真ん中に持っていくことは意外とできたりする。自分は今こっちに偏ってるとか、何か調子の良し悪しもそうだし。」
(略)
「例えば思想的に何かに対してすごく怒りがあったりとかする時に、その怒りのことばっかり考えている自分っていうのと。」
「家族の中だとそれをやっていくために、そうではない部分、他の人が思っている楽しいこととか、他の人の怒りとかとバランスを取っていくみたいなことがなんかすごく生活していく中でありがたいことだなって。だからってこっち(偏り)がなくなるわけじゃないけど。」
私自身も結婚して10年経って、妻とはもはやバディといった表現が最もしっくりくる関係性になった結果、「自分の喜び」「自分の時間」といった定義が揺らぐようになった感覚はある。
独身時代は自分の意思100%で満たしてたソレが、今は妻や子ども含め自分:家族=7:3程度の比率で物事を考えた方が結果的に最も自分が満たされる、みたいな感覚。
「結婚すると自分の時間なくないっすか?」とよく言われるし、確かに結婚以前に定義していた自分の時間は失われるが、結婚以後に再定義された自分の時間はむしろ得られるみたいな、感覚。
これは結婚マウントとかではなく、人の哲学は諸行無常で、変わる契機として結婚や出産はやはり人生のイベントランキングだと比較的上位よね、それ故変わりやすいよね、っていう話。色々考えさせられました。