『娘が母を殺すには?』 / 三宅香帆
タイトルに目を惹かれ購入。かなり振りかぶったタイトルですが、それに見合った中身の骨太な作品でした。
「母を殺す」という表現は勿論実際に絶命させるという意味ではなく、「娘が母からの呪縛から解き放たれる」という比喩。本作は、この国の小説や漫画、映像作品が如何にして母殺しを社会に訴えかけてきたかを70年代から現代作品まで追いながら推察しつつ、最終的に著者なりの母殺しハウツーまで提言するという社会学モノ。
最近読んだ作品でも『統合失調症の一族』『黄色い家』『くるまの娘』『ひかりのとこにいてね』あたりは全て母娘の関係を示しているし、妻や義理の妹の母親との関係性を見ていると「ソフトな呪縛」とでも言えるような見えない鎖が繋がれていると以前から感じてたので、テーマそのものにとても興味があった。
いきなり核心に触れるが、本作では、母の呪縛がこの国の問題となっている原因が、結局脈々と続く家父長制が根底にあると訴えている。
まず母の視点で言うと、モーレツサラリーマンである夫が普段家庭にいないことから、自ずと娘をパートナーとして位置付ける。
そして娘は娘で同じく夫が家庭にいないことから、出産時に里に帰り母を頼る。あるいは女性の社会進出が進まず給与の良い職に就けないがために、やはり里に帰り母を頼る。
雇用機会の平等を謳いつつ、その実ほぼ進んでない肌感からすると、上記ロジックはとても腑に落ちる。
じゃあ現代における母親殺しを解決するにはどうすればいいかってことやけど、終章で「母と娘以外の第三者を介入させる」とある。第三者は恋人や子どもでもいいし、何なら趣味や仕事といったモノ・コトでもよい。要するに二者にとって無関係な異物を鎖の中に挟むことで、鎖の締め付ける力を緩める、といったイメージ。
これはある程度予想できた。経験上(母/娘に限らず)物事の縛りは別の要素が挟むことによって緩むということはよくある。簡単に言うと「別の事象に興味が映る」というか。
けど第三者の介入って、体力の要る作業。ホントに渦中の渦中にいる人たちは、自らの力でそれを強引に挟ませるのは難しいよなぁ、、とも感じる。そういう時はやっぱり、その人たちを守るシステムが重要。結局は家父長制を壊して制度を充実させる必要があるという、ジェンダーの問題に帰着するんだろう。
知ってることも多かったけど、紹介される作品は(特に90年代以前の漫画とか)どれも興味深くて読んでみたくなった。