『色と形のずっと手前で』 / 長嶋りかこ
長嶋りかこ/色と形のずっと手前で | Title WEB SHOP
デザイナーである著者が、38歳になって妊娠・出産し、育児と仕事を行う中で感じる逡巡を赤裸々に綴った5年分のエッセイ。
出産前後そのものを細かく描いたエッセイは川上未映子さんや川内倫子さんの著作くらいしか読んだことなく久しぶりでした。
恥ずかしながら著者のことは知りませんでしたが、デザイン業界を寝食忘れて突っ走ってきたという著者が、出産を機に目に見える景色が大きく変わったことがありありと伝わる文章。満員電車で席を譲らなかった過去の自分を思い出し、会合中に授乳のため遠慮なく乳を出す友人に驚いた過去の自分を思い出し、
それらすべて出産によって、息子によって、見る角度が180度変わっていくという様がとても上手く表現されている。出産を身をもって経験してない俺ですら、特に1人目が生まれた時に感じた視点の移り変わりを思い出してグッときた。
( その移ろいを「都会から田舎の実家に帰る過程のように、 直線が曲線になっていくと表現してるのはホント見事)
ただし「分かる分かる!」の一辺倒ではなく、考えさせられたのは男性性と女性性の違い。こないだ読んだ『ヘルシンキ 生活の練習はつづく』でも丁度人権と特権の話が書かれてたが、シスジェンダーで異性愛者で健常者で母国で母国語を話す男性である俺は、「子育て世代」という社会的立場を除くと圧倒的マジョリティに属し特権を有する。この著者もファクターのほとんどが共通しているにも関わらず、ただ一つ「女性」というだけで、同じ子育て世代でも捉え方が全く異なる。
例えば俺は、子どもが生まれてもキャリアは止まらない。育休や在宅などの制度面が充実し柔軟に活用出来るようになったとはいえ、キャリア自体は止まらない。
ただ著者は違う。他の(男性)デザイナーが子どもが生まれようが歩みを止めずむしろ加速すらするその横で、敏感ゆえ3時間しかこども園に預けられない息子に合わせ仕事量を減らさざるを得ない著者。勿論その過程で価値観や効率性のパラダイムシフトが起こるポジティブな面もあるものの、やはりどうしてもキャリア自体のスピードは鈍化してしまう不安。
その理由は「女性」だから。読んでて、どれだけ理解に努めようともその1点のみで男性と女性は完全に同化することはなく、結局はどこかで折り合いという名の諦めをつけるしかないのか?といろいろ考えさせられました。
社会は男女平等を謳いながらも私に育児も家事も仕事もぜんぶよろしくと無言で差し出している。仕事は社会は私に、俺らのように走れと言いながらその歩みを緩めようとしない。けど、ねえ、今走りたくても走れないんだよ、なぜならそれは生理中、それは妊娠中、それは出産中、それは授乳中、それは育児中。それとこれとの足並みが、揃わないよ。そして子供はあっちにいく、そっちにいく、うんちする、おしっこする、眠い、おなかすいた、ここにいたい、遊びたい、ぱいぱいしたい。
そもそもなぜ俺らのように走ることがルールのようになっているのだろう。そしてなぜ私ら俺らは歩いたり止まったりすることに焦るのだろう。沢山作って、沢山自然に負荷かけて、沢山消費させて、沢山お金儲けして、それはどこまでいくと満足するのだろうか。歩いて、止まって、そこで見られる景色を楽しむことはできないのだろうか。