今日の昼は妻が子を連れ用事で出掛けてくれていたので、子育てから解放される時間が出来た刹那、ずっと行きたかった大阪の toibooks へ。こじんまりした店内ながらジェンダー本やエッセイ/日記はしっかり並びつつ、海外文学や絵本も充実してて素晴らしい店やった。あと大阪の本町にあんねんけど、店の周りもオシャなカフェがいくつあって、今日は時間的に無理やったけどまた来たい街やった。大前粟生さんの本と絵本を数冊購入。
皆本夏樹さん著『フェミサイドは、ある』読了。
2021年8月6日夜、小田急線車内で女子大学生が刃物で刺されて重傷を負った事件。容疑者である男性が「勝ち組で幸せそうな女性を殺したい」と殺意を持って女性を刺したことが報道されたことを受け、「フェミサイドのない日本を実現する会」を立ち上げた著者の数ヶ月の活動を綴った日記。
マジ恥ずべきことやけど、本書を読むまでフェミサイドは発音的には「リサ・ラーソン」と一緒で、「サイド=側」として「フェミサイド=フェミよりの人」の総称かと思ってた。ただ実際は「フェ」にアクセントが置かれる「ジェノサイド」と同じ発音で、意味は「女性であることを理由に女性が標的とされる意図的な殺人」。この自分の無知もあってか、世にある曖昧な問題を明確に周知するために言葉を定義し、その言葉を著者のように強く訴えかけていくことはとても重要なことやと読んでてめっちゃ感じた。本書にも出てくるけど、”セクハラ”も”DV”も”痴漢”も定義づけられて高々20〜30年しか経っていない。それまでは、つまり俺らの親世代が現役世代だった頃は「取るに足らない日常的な不快な出来事」程度の認識で曖昧なまま無かったことにされていたということ。考えると震える。けどその震えを著者はフェミサイドという言葉にも同様に感じていて、小田急の事件もこのままでは「異常者の無差別殺人の一つ」に紛れてしまうと危惧したからこのように立ち上がった。何事もはじめの一歩は著者のような強い気持ちを持った方がいたからこそ、セクハラもDVもようやく今の認知になったということを考えると、フェミサイドが10年とは言わずASAPで当たり前に認知・問題視される日本になってほしいと切に願う。
警察庁は「女性のための安全サポートブック」というものを出しているけれど、「男性のための安全サポートブック」は出していない。女性が彼害に遭いやすい犯罪があるとわかっていて、なぜもっと厳しく対応しないのだろう。なぜ加害者がいることを前提に、私たちの行動を制限することで、私たちの身を守ってくれた気になっているんだろう。加害者がいることを前提に少女に身を守らせることは、加害者の存在を容認していることとどう違うんだろう。