『くるまの娘』 / 宇佐見りん
『かか』、『推し、燃ゆ』の宇佐見りんさんの三作目。なんかいろんなところでプッシュされていたので読んだが、とんでもない読書体験やった、、恐るべし。
今回も家族がテーマで若い女性が主人公という設定は前2作と一緒。また、家族との関係に悩まされているという点も同じで、本作では父親のDVと母親の病気がテーマ。「家族」というつかず離れずの立ち位置を描くというのはまあよくあるとは思うけど、(記憶が朧げだが)前2作と違うのは、本作は主人公だけでなく、その父親・母親視点も描かれているという点。村上龍さんの『最後の家族』ではとある事象を家族全員別の語り口で繰り返しなぞるという構成になってたけどあれに近い。同じ事象でも、各人から見ると全然違う切り口に映る。
つまり、主人公の苦しみだけでなく、その周囲の人間も同じように別の苦しみでもがいているということを読者に訴えかけてくる。この構成により、朝井リョウさんの『正欲』同様に、正解なんてないという事実をこれでもかと突きつけてくる。
隣に、ここまで生きていた父がいる。生きているということは、死ななかった結果でしかない。みな、昨日の地獄を忘れて、今日の地獄を生きた。
んで一番くらったのは、主人公が現状から脱したいと思う気持ちについてひも解いていく描写。 昔のマッチョイズムとは違い、最近「苦しかったら逃げればいい」という通念がトレンドになってる感はあり、本でも絵本でもそういったメッセージをはらんだ作品は多い。
けど本作では「家族からは逃げられない」ではなく「逃げるなら家族みんなで逃げたい」というメッセージ。
ひとりで抜け出し、被害者のようにふるまうのは違った。みんな傷ついて、どうしようもないのだ。助けるなら全員を救ってくれ、丸ごと、救ってくれ。誰かを加害者に決めつけるなら、誰かがその役割を押し付けられるのなら、そんなものは助けでもなんでもない。
愛されなかった人間、傷ついた人間のそばにいたかった。背負って、共に地獄を抜け出したかった。そうしたいからもがている。そうできないから泣いているのに。もつれ合いながら脱しようともがく様を「依存」の一語で切り捨ててしまえる大人たちが、数多自立しているこの世をこそ、かんこは捨てたかった。
現状を、変えたい。
けれど家族という特殊な関係性は、捨てられない。
だから家族丸ごと、救われたい。
この論法がなんとも無慈悲で胸がキリキリするようで、どうしようもなく悲しい気持ちになった。けど小説の形態でこんなにも感情を揺さぶってくる文章に同時に感動もした。今年の1冊、という感じ。ぜひ!