『能力で人を分けなくなる日』 / 最首悟
『根っからの悪人っているの?』で知った「あいだで考えるシリーズ」の作品。blackbird booksさんの紹介で知って読んだが、このシリーズは若者にも読みやすい作りにしつつ、物事の本質から逃げずに向き合おうとしててくらうことが多い。
今回は「いのちとかちのあいだ」。著者の最首(さいしゅ)さんは47歳で重度障害者の娘を持つ父親。常時娘の世話をしながら、やまゆり園事件の加害者とやりとりをしたり、水俣病について調査する不知火海総合学術調査団のメンバーとして活動している方。その最首さんと10代の学生4人が数回にわたり、生きるとは何か・命とは何かといったテーマについて話し合った内容をまとめたもの。
最首さんの話はかなり哲学的な要素が多くて、汲み取りきれないところもあったが、敢えて結論づけないことで、参加してる学生たちがその余白を自分の頭で考えて埋めるように喋ってる様子がすごい(というか前回も思ったが参加学生のリベラルアーツが高すぎる、、!)。特に「なぜ生きるか」を問う場面で、学生たちが悩みながらも、自分一人で生きている訳ではないといった感覚や、祖父が死んだ事実以上に祖母が一人で残されたことの方が寂しいといった感覚を言語化していく様は、まさにプリズンサークルのようにいい意味で人格が剥がされていくようで神々しさすら感じた。
どうも「私」というのは単数だって気がしないんだな。かといって複数でもなく、ひとり以上ふたり未満という感じ。そのつどのあなたに頼り、頼られることで私がいる。そのあなたが石ころでも、虫けらでも、あるいは星子のような、どんなに弱い存在でもね。私は石ころを立てて、石ころも私を立ててくれる。そういう、二者を出発点とするネットワーク。
あとこれは単に俺が無知だっただけやけど、水俣病患者が長い間差別されていたことを話す章は衝撃やった。チッソという大企業が起こした公害ゆえにクニもヒトもそれを認めず、精神障害を負った被害者たちを強制隔離して隠蔽するという体質。コロナ警察を思うと結局何年経っても変わらぬ悪しき国民性で悲しい気持ちになった。
普段割と踏み込んで語られないテーマ故に読み応えたっぷりでした!