娘の保育園でここ二ヶ月間ほど、地雷の如く毎週誰かしら家族ごと次々と感染し、次こそウチかと戦々恐々とするも奇跡的に生き残ってる。すごい時代やし、2年経ってすっかり日常に馴染んだコロナウィルスに感心すら覚える。アイアムレジェンド如くサヴァイブしてやります。
若松英輔さん『悲しみの秘義』読了。
街の本屋的なコミュニティ内では名著と至る所で紹介されてるエッセイ、買ってから時間が空いたがようやく読み切った。というのも中盤まで、言葉は悪いがちょっとタルくて、いいこと書いてあるけどなーんか頭に入ってこない、、というのでしばし寝かせてしまってた。単に俺がそういうモードじゃないというのが原因やったけど、時間を置いて再開ししばらくして中盤の『彼女』に差し掛かって、一気に心持ってかれた。
昔高階紀一さんの『早く家に帰りたい』を読んだ時同様の感覚。『彼女』を読むことで、前半で描かれていた言葉もぐっと距離を縮めて迫ってきた。
遠いところにいるからこそ、その存在を強く感じる。姿が見えないから、一層近くにその人を強く認識することはある。孤独は、悲嘆に始まる経験であると同時にそれは、生きる力をもたらし、深みから私たちの人生を祝福するというのである。
悲しみが大きすぎて、地面を這いつくばるほど一度地に落ちたとあるが、そこから這い上がるために、とにかく孤独や悲しみとは何かということを、先人たちの知恵や己の内なる感覚に耳を澄まし、感覚を研ぎ、やがて本書に文字に起こして、著者はようやく立ってる感じがした。そのヒリヒリ感に、救われる人はたくさんいると感じた。縁起でもないが自分も大切な何かを失って立ってられなくなった時、本書を読むということを心の片隅に置いておこう、そんなことを思わされた。
書くことに救われたことを綴るあとがきも素晴らしい。
想いを書くのではない。むしろ人は、書くことで自分が何を想っているかを発見するのではないか。
俵万智さんが帯で「一生モノ」と本書を表現してるけどまさにそう。一気に読む、というより、定期で読む、という感じ。買って置いとくべし1冊!