今週のcreepy nutsのANNで、R指定がベーグルを、DJ松永が湯豆腐をそれぞれ食べたことないてゆう話がオモロかった。「俺が知らん間に知らんことが流行って、大人になった時何故か俺だけ知らんって状況になってる」という話。痛いほど分かる。俺は保険とか株とかの話に全く疎い。そうゆう知識は社会人になった時に授業みたいなのがあって、そこでみんな一斉に学ぶみたいなもんやと思ってた。けど気づけばみんな知ってて俺だけ取り残されて、その状況を逆に「そんなこと知らんくても人生楽しい」的に捉えてるダサい奴に成り下がってる。自分で知識を取りに行くことって案外みんなやってんねんなぁといつも思う。
そして2週間後のゲストが般若とゆうことにアガる、、ハマオカモトばりにいじられる姿見てみたい。
『ある奴隷少女に起こった出来事』を読み切った。
Incidents in the Life of a Slave Girl
- 作者: Harriet Jacobs
- 出版社/メーカー: Createspace Independent Pub
- 発売日: 2014/11/29
- メディア: ペーパーバック
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1820年代のアメリカの実話。ある医者の性的奴隷だった著者の自伝であり、記した150年後に発見されて大ベストセラーになったという嘘みたいな作品。もともと匿名で出版されてたらしく、白人が書いたフィクションとされてたらしいが、研究によりほとんどが事実であったことが証明されたという痺れるエピソードがついてる。それを知った上で読むと、これが実話だということの衝撃は並大抵のノンフィクションものを超えてくる。特に個人的にビビったのが、医者から逃れるべく、祖母の家の狭い狭い屋根裏に7年間隠れ続けたというエピソード。しかも祖母の家には我が子が二人暮してるにも関わらず、自分の脱走に家族を巻き込みたくないとゆう理由から、最後の最後まで我が子に会わなかったという。一つ屋根の下、子どもたちが泣いたり笑ったりする声を聞きながら、一切姿を現すことなく母親が屋根裏に隠れ続けているという状況は、どんなフィクション映画よりフィクションやった。本の帯に「女性の力強さが現代にも共感を呼び、、」とか聞こえのいいキャッチコピーついてるのを見たけど、なんつーか次元が違い過ぎて著者に失礼やろと思った。共感なんかでけへん、ただただ尊敬の2文字と若干の恐怖やった。けど数年の逃亡の末にニューヨークで子どもと再会するところは否が応でも涙ダダ漏れやったし、正に事実は小説よりも、で圧倒された。
奴隷制なんてこうやって振り返って今でこそオカシな世の中やったと言えるけど、当時は世界全体で麻痺してたやろからこう言ったことが当たり前に行われてたのも理解できる。戦争とかも多分そうやったんやろうと。けどそれをオカシい!と言うためには、やっぱりこうやって当時の作品に触れる必要はあるとつくづく感じたので、ノンフィクションを読むことは大事。今年はホンマ、ノンフィクションの重要性を31年生きてきて初めて感じてる。