グレイソン・ペリー『男らしさの終焉』読了。
フェミニズムの本はほぼ9割女性が書かれていて、何冊か読んでると次第に「男性から見た現状」が知りたくなり、学問的にそれは「男性学」と呼ぶのらしいけど、本書はそれに属する。ただ、著者は男性だが 異性装を好んで着るトランスヴェスタイトであるからか、より中立的な視点で書いてあるのが特徴。中盤までは訳文だからかちょっと読みづらく、めっちゃ失礼やけどGoogle翻訳、、?と感じてしまったけど、終盤2章くらいにかけてアガっていって読後感は素晴らしかった。
著者のメッセージは「男性が変わらなければ男性も女性も不幸」といったものに聞こえる。なぜなら今までの世の中は全て男性主導だから。女子トイレがどこも異常に並ぶのも、多くの建築士は男性だから。だからいくら今の時代女性がMeTooと叫べど、主導権を握る男性に刺さらなければ本質的には変わらない、と言っている。(だからこの本を書いたんやろけど)
男の子の感情は女の子のより種類が少ないし、単純だと言われている。男の子は女の子より丈夫だし、細かい事は気にしないと言われている。男の子の感情の複雑さを過小評価するのを今すぐやめよう。男性はパフォーマンスとの関係を変革しなくてはいけない。
健全に変化を起こすには、差異を許容することが重要だ。男性は、他の男性に対しても自分に対しても、男らしさの基準に達していないという理由で責めるのを辞めるべきだ。
そう捉えると、たしかに女性が声を上げられるようになった昨今は過去に比べ相対的には望むべき世界に近付いたんやろけど、それでも不十分なのは「(一部の)男性が声を下げる」流れなんやろうな。
そういった観点では森さんがああやって吊し上げられたことをメディアが報じるのは意味がある。少なくとも俺みたいに今まであまり深く考えず生きてきた人にとっては考えるきっかけとなってるから。