荻窪にある新刊書店、Titleの店長辻山さんのここ2年くらいのエッセイ。良い本を紹介してる本屋さんいないかなーとTwitter漁ってたときに見つけたTitleのアカウントで知ってから、ほぼ毎日のようにオススメ本をチェックするようになった方。個人的な感覚やけど本屋の店長って割と国の動きに敏感な方が多く、特にコロナ禍の腐った政治に対し怒ってる様子をたびたび見たけど、辻山さんは書評とかを通じて発信はするものの、その声はマッチョ過ぎず悲痛すぎず、どこか寄り添う優しさみたいな肌触りがあってとても好きやった。
そこにきて今回の『小さな声』というタイトルは正に辻山さんのことを表してて、コロナ前後で感じた本のこと、生活のこと、人のことを綴ったエッセイやけど、サモアンフックのように強烈な一発とは言わずとも、何発も重ねることで立ち上がれなくなるカーフキック如き刺さる言葉が連なってる。
つまり私があなたに言いたかったのは、声が大きな人をそんなに気にする必要はないということだ。わからないことばを使うことはないし、自分に向かない場所に無理して行く必要はない。ちょっとくらいぼんやりとしているほうが、しぶとい感じで長持ちする。
本の世界に利便性が持ち込まれると、人の情緒に触れ、読む人を根底から変えていくような本は軽視される。コンビニエントで理解しやすい本の需要ばかりが高まるが、簡単に得た知識は忘れ去られるのも早く、その人の内実を押し広げることにはつながらない。
特に言葉が浮き立ってくるのはコロナ禍突入後のエッセイで、店を閉じることで空いた時間の中で、なぜ本屋を営むのか、人と人が会うとは一体なにか、を噛み砕こうとする様がとても素敵。誰しもあの1回目緊急事態宣言下で内省する機会があったし、言葉にならない不安や悩みや気付きを抱いたんやと思うけど、辻山さんのような表現者がそのモヤモヤした感情を丁寧な文章で紐解いてくれると、あぁ自分もこう思ったかもしれんと後追いで気付くことができる。
タイトルの「光る棚」の意味はあとがきにあった。ただ本を並べるのでなく、Titleは1冊1冊が小さな声を上げてるかの如く棚に陳列されてる、という状態の比喩。あぁーー行ってみたい、、
誰かの真似ではなく、その人らしく語られたものであれば、人は自然とその声に耳を傾けるようになる。