『ヘヴィ あるアメリカ人の回想録』 / キエセ・レイモン
田尻久子さん『これはわたしの物語』の選書であり、3,000円という価格から個人的な夏休み課題図書に設定してたが、ぐいぐい引き込まれて3日で読み終わった。ニューヨークタイムズ2018年ベスト本。
著者、キエセの半生を追った回顧録。キエセの母はアメリカで生きる黒人女性政治学者という肩書きの一方、息子を虐待し、マラカイという恋人とギャンブルに依存する母子家庭の母親。また、キエセ自身は母親から受ける虐待に加えて友人からの性暴力を受けており、後半はジャンクフードの過食症やギャンブル依存に苦しむ描写が続く。「アメリカにおける黒人差別」というマクロ的な観点と、「痛みと共に生きるイチ男性」のマイクロエッセイという二軸で読める作品。
一気読みした後、
「嘘を書きたかった。けど僕はこれを書いた。」
という著者のまえがきがこの作品の全てを表していて素晴らしいという思いが残った。例えば前に読んだ『ザ・ヘイト・ユー・ギブ』のように、「人種差別」というテーマ目線でこの日記を描き上げることもできたハズ。
どうすればやつらに不意に撃たれずに生きられるのかがわからなかったからだ。ただ車を運転したり、外から帰ってきて家に入ったり、仕事をしたり、グレープフルーツを切ったりしているだけでいきなり撃たれる理由になるらしかった。
といった引用のように、勿論人種差別の問題を棚上げしてる訳ではない。ただ本作は「苦しむ"我々"」という風に、自分たちとその他という二元論に落とし込んで対立構造を作るのではなく、
母親からの折檻や自らの依存症などを着飾らず描くことで、「嘘」のない本当にありのままを徹底的に炙り出そうとしてる(人種差別が嘘という訳ではないんやけど「それだけではない」という側面に焦点が当てられてる感じ)。なぜそう感じるかというと、作品で何度も何度も出てくる母親から著者への教えがそうさせてる。
怒っても喧嘩したらだめよ。怒ったときは考えなさい?怒ったときは書きなさい。怒ったときは読みなさい。
書いて、組み立てて、推敲する。それを幼い頃から母親に叩き込まれた著者。さっき書いたようにとにかく痛みを伴った描写が多く、母親と仲直りした刹那、次の章でカジノに戻る著者の描写とかは特にキツかったが、
そんな中でも著者はとにかく、見たもの感じたものを文字に起こして推敲して自分の中で再構築することを辞めない。
終わり方も別にハッピーでなく、ただそれまでの人生とこれからの人生が地続きだというだけやし、母親を赦すという構図に安易になってないんやけど、
この母親の教えが結果的に著者の言葉に深みを与えてて、素晴らしい作品に昇華させてる。
この作品を読んでしまうと、生半可な日記文学は淘汰されてしまうみたいな感覚にすらなった笑。 ガッツリ読書気分の時の必読本!!
ぼくら黒人の解放は、思いやり、組織化、想像力、直接行動の上に築かれると主張した。家庭教育が大切だと説いてまわった。ラディカルな道徳的想像力を育むことをぼくらに求めた。推敲、再読、思いやり、家庭教育、想像力、黒人の子どもたちの愛、それはアメリカの誰もがこの国の子どもとも分かち合える最大の贈り物だ。
いちばん親密な関係が、欺瞞、虐待、ごまかし、反黒人、家父長制、白々しい嘘のうえに成り立っているのなら、解放は実現しない。