『統合失調症の一族』 / ロバート・コルカー
数年前、オバマの年間ブック1位に選ばれ話題になった本。
真っ直ぐすぎるタイトルと分厚すぎる厚み(とお高すぎるお値段、、)でしばらく避けてきたけど、読まずに生きるより読む人生が良い! と本屋で自分を奮い立たせ購入。
大正解、圧巻の作品でした、ありがとうございました!!
ドンとミミ夫妻に生まれた12人兄弟のうち、実に半分の6人が統合失調症と診断されたギャルヴィン一家を追ったノンフィクション。あとがきにもあるように、作中に出てくるエピソード全てが、膨大なインタビューや日記から起こされたノンフィクションという圧巻の作品。事実は小説よりも...的感想しか出てこない、ホント凄まじい読書でした。
兄弟各人のエピソードを追う章と、その当時の統合失調症の研究背景を追う章に分かれるが、とにかく前者の方が衝撃で、辛いと分かっていながら読むのを止められない感覚。それは、暴力や非人道的な治療、自殺やドラッグと、統合失調症を患った本人たちの苦しい描写が続く中で、統合失調症に「ならなかった」母親のミミ、そして12番目の末っ子・リンジーの存在があるからだと読んだ今思う。
もちろんミミの有無を言わさぬ教育スタイルが彼らの統合失調症の進行の一助になってしまったと、可能性という観点ではいくらでも言ってしまえるが、個人的にはミミがいなかったらじゃあ彼らの病状はもっとヒドいものになってたのではと感じる。そしてミミがいなくなったのちに結果的にミミの生まれ変わりのような立ち位置となったリンジーの存在も、ミミと同じく彼らを支えるものだった(と、信じたい、、)。
リンジーはジムを殺すことを考えた。たっぷり考えた。それから、そう考えたことに罪悪感を覚えた。だが、ジムと対決することよりもなお深刻な、彼女の最大の気掛かりは、母親に打ち明けなければならないことだった。母に信じてもらえなかったら?その時には、私もまた頭がおかしい子になってしまう、と彼女は思った。
母親のミミが亡くなる前後の終盤の章は、記憶を呼び起こすことで自ら傷つくことを恐れて家族から逃げる11番目の娘・マーガレットと、決して逃げないリンジーという構図になる。想像もできないが、もし俺自身は彼女たちの立場なら、マーガレットと同じく家族から逃げ続ける気がする。それは悪いことではなく、良い逃げだとも思う。けれど同時に、逃げずに向き合って考えて語り続けたリンジーがいなかったら本書は世に出なかったことを考えると、「リンジー、すげえ!ありがとう!」という感謝の念で一杯になります、マジでリスペクトです。
統合失調症の根本原因は未だ解明されておらず、本書が終わりではなく途中経過であるというのも、なんと壮大な世界なのかと圧倒させられる。ソフトウェアや機械学習の世界を生きる身としては、組合せ問題のような莫大な演算であれば少し待てば最適解あるいは近似解が得られるため、解けない問題はないように感じてしまう。けれど医学の世界は理論を積み重ねた上で、次はラット、そして人間へと実験対象を移し、しかも喩えその結果が「不正解」だったとしても、結果が出るのが数十年後という世界。
妊婦がコリンのサプリメントを摂取し始めた瞬間から、胎児が生まれて、統合失調症を発症しやすい思春期後に達するまで、追い続けている。フリードマンはニューヨーク州での授賞式で示唆したように、その結果が出るときまで生きていられないことは間違いない。
最後、リンジーの娘のケイトが、統合失調症の研究者であるロバート・フリードマンの研究室を訪れるというエピソードも映画のよう。
サイエンスとしても小説としても家族モノとしても読める大傑作でした、皆様時間を確保して、ぜひ電車でこの分厚い1冊を開いてください!
彼女がここに入れたのだから、家族がきっと途方もない寄付をしたに違いない、と一人がきつい冗談を言った。
ケイトは得意げな笑みを浮かべた。「寄付って、お金のことを言っているのですか、それとも生体組織のことですか?」