あと一週間で育児休業が終わる。心中ファックの嵐。育児休業は終われども育児は終わらない。戻りたくない。大阿久佳乃さんのエッセイが染みる。
時間を大切にしようとすればするほど、時間が惜しくなり、なんだか自分が無為な時間を過ごしている気がして仕方がなくなる。
くどうれいんさんの「うたうおばけ」を読んだ。「私を空腹にしないほうがいい」に次ぐエッセイらしいが、先に第2作を読んでしまって後悔。端的に言うと ”一般人のエッセイの境地” 的な作品やった。日々、流れていくささいな出来事を切り取る行為こそが日記やエッセイやと思うけど、くどうさんの文章は「悲しい出来事を面白く切り取る」才能に秀でた人やと感じた。
結構恋多き人で、人との出会いや別れがわりかし出てくる。特に別れはベースが悲しみやけど、表現としては柔らかくなってるのが素敵。
「別れることがわかったので一発だけビンタさせてもらっていいですか、と言い頬をを差し出されたものの、泣いて手が震えて頬を撫でるだけになってしまった。もっと全力で、猪木ばりの一発かましてやればよかった。でもそれができなかった。それなりに恋だったから。」
「食べられそうなものだけ食べなと言われたのでハムカツを頼んだ。ハムカツを頼んだと言うよりもハムカツを頼む元気な私を頼みたかった。」
あと受験日を間違えて大学不合格になった事実は笑えんかったけど描写はマジ笑えた。けどこの表現技法、苦手な人もいるやろし、一歩間違えるとかなり厨二的な見た目にもなってしまう危うさを孕んでて、それも魅力になってる。
書くことの意味を見出す文中の文とあとがきも素晴らしい。起こった事実の面白さと描写としての面白さの違い。分野は違えど「すべらない話」に通ずるプロ根性にも見えた。
「辛い経験の何もかもが最終的には笑い話になってしまう。つくづく私の人生は、行ったり来たり交差をしたりしながらも、どの線を選んでも全部当たりのあみだくじだと思う。」
「どんな人の周りにもたくさんのシーンはあるのだと思います。ハッとしたシーンを積み重ねることで、世間や他人から求められる大きな物語に飲み込まれずに、自分の人生の手綱を自分で持ち続けることができるような気がしています。」