GW終了。9連休あったが近所の公園くらいしか出掛けず、ひたすら子どもと遊んで料理して本読んで勉強して過ごした。去年からうっすら感じてたがつくづくインドアやなと思う。旅行やアウトドアなかろうが全く困らないしむしろ落ち着いた時間の流れに酔ってる。何度も言うが、オリンピック辞めて今はひたすらにウチに篭り医療負担軽減を願う時間。
少年アヤさん著『ぼくをくるむ人生から、にげないでみた1年の記録』読了。読んでる最中も読んだ後も自分の中の優しさ成分を肥大化させてくれるような、見事な本でした。
ゲイの著者にもみくんという彼氏ができ、初めての大恋愛にそれはもう大変に苦しみながらも、周囲の友人や家族に愛し愛され過ごした日々を綴ったエッセイ。セクシャルマイノリティが原因で過去にイジメられていた様子も伺える文章から、著者が幸せにすごく敏感で、割と序盤から幾度となく「幸せになればなるほど苦しい」という描写が出てくる。
例えばもみくんが仕事でラインを返せない2時間を永遠であるかのごとく捉えてしまい、1分1秒居ても立ってもいられなくなって「別れよう」と切り出してしまったり、
一週間のうち限られた時間しかもみくんと過ごせないという焦りから、デート前は何度もお腹を下し、いざデート中はずっとソワソワイライラしてしまい、デート後に自己嫌悪に苛まれるといった描写。
この純粋さを嘲笑することはできない。俺だってかつて親が死ぬことを勝手に想像していてもたってもいられなくなって爆泣きするような子ども時代があったことを覚えているし、誰しもが完全一致とまではいかずとも近しい感情を抱いたことはあるはず(なんたって今4歳の娘の純粋さと可塑性を目の当たりにして毎日感動しまくってる)。著者の文章はセクシャルマイノリティみたいな作られた区分を超えて、ただただ1人の純真無垢な人間がここにいますと訴えかけてくるような強い力を持ってる。
後半、もみくんを家族に紹介するに至るまでの葛藤もとても響いた。家族のうち父親だけは著者がゲイであることを拒絶するようなスタンスであり、そのことをどうしても分かってもらいたい著者。
ぼくがゲイであるということは、これまでの人生だし、これからの人生なのだ。死んだり、殺されたりするかもしれない、ぼくの人生なのだ。だから、パパが目をそらしているのは、ぼくの人生そのものだ。そこに詰まっている悲しみや痛みや愛や戦い、全てだ。
朝井リョウさんの『正欲』を読んだ時、マイノリティ側の登場人物が、マジョリティ側の「相互理解しましょう」的スタンスが最も疎ましいといった描写があり、俺はあの作品のせいでいい意味で価値観ぶっ壊れたが、本作でマイノリティ側の「理解して欲しいんだ」という叫びに触れることができて、ちょっと救われると同時に頭が痺れる感覚やった。そしてそれに対する父親からの言葉もちょっと泣きそうになった。いざ家族との顔合わせ当日、もみくんが体調を崩して予定がキャンセルとなった後に父親からきたメール
「これでいいんだ。うちんちが、こうやってひょいひょい東京にこれるってことが彼に伝わっただけで、今日は任務完了だ。またすぐ会いにいくよ。おだいじにな。」
著者アヤさんは当然のことながら、彼氏のもみくんや著者の妹、友人まゆちんといった個性的な登場人物は皆共通して涙が出るほど優しく、それは著者自身が誰よりも優しく純真無垢に生きてるから、それが周囲に伝播した結果だと窺える。とうに忘れたキラキラした珠のような心を思い出させてくれるような本、荒んだここニッポンにマスト!