安達茉莉子さん『私の生活改善運動』読了。
『毛布 あなたをくるんでくれるもの』『臆病者の自転車生活』など気になる作品ばかりの安達茉莉子さんやったが、朝ごはん作り始め、生活改善ブームが年初にやってきた俺としてはこの間違いないタイトルの本書で安達さんデビュー。住居、本棚DIY、食事、鏡などを題材に、自身を取り巻く環境を意識的に変えていくさまを綴ったエッセイ。とある事象に対して向き合ったときに、自分の心情を真摯に、慎重に掘り起こすような文章が素敵。途中出てきた
ふつうに話をするよりも、生活の話をしたほうがそのひとに触れられるのかもしれない。
というパンチラインはやられた。会社のグループ員とか保育園のパパママとかと話すとき、宗教や給料について話すことは対人距離を詰めすぎやとさすがに思うけど、大した深みもないニュースで小さく盛り上がるより、その人のインテリアやったり食事やったり、その人が日々営む生活の一部を知った時の方が余程距離が縮んだ気がするのはめっちゃ分かる。今ちょうど自分がそういうモードなのもあって、とある作家が生活のとある部分にこだわりを持ってるっていう本書を読んで、会ったこともない著者のことをちょっと知った気にもなれた。
終盤、帰省の際に会った母親についての描写もめちゃ良かった、、
愛の反対は無関心というけれど、母を見ていると、愛とは基本無関心なものなのだと思わされる。それは決して、生きようが死のうがどうでもいいということではない。私がもう無理かもと困ったときに、大丈夫?と助けてくれるのも母だった。だけど、存在していればそれでよく、それ以上は何も関心がない、好きにしてね、興味ないから、、、ということだった。
明日は何をするの?と聞いたら、「ママはチューリップの球根を植えるのに忙しい」と言った。母は母の生活を送っているのだった。
それまでの文章で生活改善に意識的に取り組んできた著者が、「何もしなくていい、目の前のことをただ取り組めばいい」スタンスの母親を前にすると、忙しかった自分の心に安寧がやってきたという展開。分かる、これもめちゃ分かる、、どっちも大事なんよな〜、俗っぽく言うと「頑張るのもいいけど頑張りすぎない程度に」的な。俺も心疲れん程度に生活改善しよう。。
予想もしなかった人生を、ひとは送る。いまの状態が修復困難に思えても、一年後には別の場所で、予想もしなかった安心のなかで微笑んでいるかもしれない。ひとつひとつ、やっていけばいい。自分が幸せに感じるその感覚を信じて、それ以外は箒で掃いて捨てて、ひとつずつ、ひとあし、ひと呼吸。