『波』 / ソナーリ・デラニヤガラ
こちらも田尻久子さんの選書で購入。久々の新潮クレスト、やはり装丁の美しさはアガります。テジュ・コールの年間ベストや、ニューヨークタイムズ紙が選ぶ年間10冊にも選ばれた作品。
著者ソナーリさんが2004年休暇中、ご両親と夫・子2人と共に訪れたスリランカでスマトラ島沖地震に遭い、ご両親・夫・子2人が命を落とし、自分ただ一人生き残ったという実話。この体験を、著者が被災から2年経った2006年から、トラウマから立ち直るために少しずつ書き始め、6年かけて書き上がったという回想録。
冒頭から即津波の描写となるが、
はじめは死を全く受け入れられず、心も体も家族を拒否し遠ざけ、自傷行為にも走り、何故私だけが生きているのかという自責の念に駆られる苦しい描写が続く。
どうして私はこのぞっとする現実をそんなに簡単に受け入れたのか?希望が塵になることを恐れ、その希望から身を守るのに必死だったから?
私は彼らの母親であり、それがどんなに無益で不可能に思えても、でき得る方法を何でもとって、手を差し伸べるべきだった。私はそうしないで、彼らを見捨てた。そのことが私をうんざりさせる。
けど、それがやがて、それでも彼らについてゆっくり少しずつ書き起こし、
靴箱の匂い、手書きのメモ、音楽、ピクニックの染みがついたマット、
といった彼らの一部を辿り、彼らの輪郭を形作っていく中盤の描写は、悲しいというより「失った他者の細部の細部まで再構築する」という残された者の神々しさみたいなものを感じ、直球な訳も相まって一文一文が名文に見えた。
その行為を繰り返して彼らを自分の身に近づけることで、著者は最後、悲しみを乗り越えたのではなく、新たな悲しみに辿り着いたという表現をしてる。そこの文章は本当に美しかった。
7年が経って、彼らの不在は膨張した。この期間に私たちの生活がきっとそうなっていたのと同じように、大きく膨らんだ。だからこれは新しい悲しみだ、と私は考える。私は今そうなっているだろう彼らを求めている。私は私たちの生活の中にいたい。7年経って、私の喪失は蒸留された。なぜなら私はもうぐるぐる回ってはいない。衝撃に抱かれてはいない。
私は、彼らを近くに置いておくことでしか回復できないということを学んだ。彼らから、彼らの不在から、距離を取ろうとすると、私はバラバラになってしまう。
悲しみがなくなることはなく、彼らに向き合うことは悲しみに何度も何度も向き合うこととイコールなので、果たしてそれが良かったのかということは著者にしか分からないが、
本地震あるいはスラウェシ島地震などで同じく被災し残された方達への助けになる文章であり、
地震大国日本でも広く知られるべき作品です。素晴らしかったです。