発売前からTwitterで「ヤバい」と噂が流れてきてたが、ちょっとこれは想像以上だった朝井リョウさん最新作『正欲』。未だ桐島と何者の印象が強い若手作家のイメージやったが、今こんなことなってんのね、、脳が痺れたまま一気に読了。
個人的には『どうしても生きてる』以来の著者作品。
テーマはセクシャルマイノリティで、登場人物たちは自分たちを「普通じゃない」、マジョリティを「普通」と区分けし、互いの無理解から齟齬が生まれ交わらない状態。こういった設定の大体の小説は、マイノリティ側を救うための何らかのエピソードを展開し、読者に「多様性持って生きよう」チックなメッセージを投げて終わる印象。
けど本作ではそういった多様性(作中では「ダイバーシティ」とあえてカタカナ表現。その毒っぽさにも朝井イズムを感じる、、)に関して、マイノリティ側の登場人物たちから、マジョリティ側のさも「私は理解している」的スタンスが最も疎ましいのだという主張が投げかけられる。その辺りに差し掛かった時、それまでいつのまにか勝手にマイノリティ側の立場として読み進めてた俺は、突如投げられたキョーレツな非難に「え、このディス対象、完全に俺へやん、、」と意気消沈させられた。
既に言葉にされている、誰かに名付けられている苦しみがこの世界の全てだと思っているそのおめでたい考え方が羨ましい。あなたが抱えている苦しみが、他人に明かして共有して同情してもらえるようなもので心底羨ましい。
お前が安易に寄り添おうとしているのは、お前が想像もしていない輪郭だ。自分の想像力の及ばなさを自覚していない狭い狭い視野による公式で、誰かの苦しみを解き明かそうとするな。
けどこの作品のすごいのは、マイノリティとマジョリティ、どっちも対等にしんどいのだというところまで説得力込みで持っていくところ。全員救うのではなく、誰も救わないような作りになってる。けど救わないというリアリティが好きやし、「まあそんなもんだよね」とゆう、ある種諦念で終わらせることで得られる救い、という感じもする。
324頁目くらいからの、とある登場人物がマジョリティ側への思いを馳せるシーンは、冗談じゃなく電車の中で心も手も喉の奥も震えた。
みんな、不安だったのだ。まとも側の岸にいたいのならば、多数決で勝ち続けなければならない。三分の二を2回続けて選ぶ確率は九分の四であるように、"多数派に立ち続ける"ことは立派な少数派であることに。
まともって、不安なんだ。正解の中にいるって、怖いんだ。この世なんて分からないことだらけだ。だけど、まとも側の岸に居続けるには、わからないということを明かしてはならない。
決してハッピーエンドでもなく、居場所を見つけたかのようにみえたマイノリティ側の登場人物も最後に悲しい結末を迎えるが、同時にマジョリティ側の人間にもキョーレツな問題提起が為されて終わる。つまりどっちもバッドエンドなんやけど、それこそ、一方が幸せで他方を理解する、なんていうある種の上下関係を作らず、「全員ある種のマイノリティだ」という結論に導かれているような気もして、そのあたり読後めっちゃ考察させられた。
間違いなく語り継がれる名作、時事性もあって正に今読むべき!